タイトルを見て、え?何の本?と思って手に取りました。
おもしろかったです。
P3
・・・「のど自慢」で使われている鐘は、チューブラーベル(tubular bells)という、オーケストラや吹奏楽などで用いられる打楽器だ。そしてそれを叩く人はクラシック音楽を演奏するプロの打楽器奏者である。番組が新しく変わる2023年春までは、東京藝術大学の音楽学部打楽器科打楽器専攻を卒業し、数々のオーケストラで活躍してきた秋山気清さんが鐘の奏者、つまり「鐘のおじさん」を務めてきた。その事実を知ると、誰もが「えっ、あの鐘を鳴らす人、藝大出身の専門家だったの?」と驚くようだ。なぜプロ奏者が素人の歌番組で鐘を叩くことになったのか。その謎を紐解いていこうというのが、本書『あの鐘を鳴らしたのはわたし』である。
P17
番組が始まった当初は、合否の判定は鐘の音ではなく、歌を止めてほしいときに司会者が「結構です」と言葉で伝えていたそうです。ところが歌っている方はテンションも上がっているし、「結構です」が「良いです」とか「上手です」などと勘違いされることもあり、それで鐘の音の数で合否を伝えるようになったそうです。「カーン」と鐘が鳴れば分かりますからね。合否の判定は基本的に歌の上手さで決まるようですが、私としてはこの人は不合格の鐘2つではなく、合格の鐘3つだよなと思う場合もあって、そういうときは「ド」と「レ」の音の間を結構開けて、歌った人の悔しさを一緒に享受するようにしていました。「僕は合格だったと思うよ」という、誰にも気づかれないメッセージです。審査結果は歌の上手さだけでなく、表現力やキャラクターが際立っているか、ということも含めてのものなので、私が思った鐘の数と異なることもあったのだと思います。
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鐘奏者としていつも心がけていたのは、良い音を響かせることです。打楽器の専門家として、そこにはこだわりました。アマチュアの「のど自慢」だからといって、音の質に関してはオーケストラで鐘を鳴らすことと何も変わりません。広い会場に良い音を響き渡らせる。鐘が1つでも2つでも、3つの11音であっても、その思いは変わりません。鐘は、ただ音を出すだけなら誰でも鳴らせます。しかし、良い音、澄んで遠くまで響く音、会場全体を包み込むような音を出すとなると簡単ではありません。やはり、そこは譲れない大切にしていたところでした。また、一所懸命に歌っている参加者の気持ちを考えると、それは当然のことでもありました。
P40
私の家は裕福ではなかったので、お金のかかる私立大学には行かせてもらえず、国公立でないとダメでした。父親は「音楽なんかで飯は食えん。ロックやジャズをやるヤツなんて不良ばかりだろう」と理解がなく、そもそも音大に行くこと自体に反対でした。そこで、NHK交響楽団の活動を教えて、「藝大に行けばオーケストラで演奏できるんだよ。きちんとした仕事だよ。学校の音楽の先生になることも考えるから!」と訴えて、浪人することを渋々承諾してもらいました。・・・浪人中は、今振り返ってもよく頑張ったと思います。太鼓はもちろんですが、ピアノも懸命に練習しました。家にはピアノがなかったので、高校の音楽室のピアノを借りてさらいました。・・・
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中学時代の合唱部の太田先生とお会いしたときに「大学はどうするんだ」と聞かれ、「藝大を目指しています」と答えたとき、「なかなか入れんぞ」と言われて、「そんなことはありません。入学したらご挨拶に伺います」と啖呵を切りました。自信があったのか、と聞かれればなかったのかもしれませんが、そのときは本気でした。そうして本当に藝大に合格できて「入れました!」と太田先生に会いに行ったとき、とても喜んでくださったことを今でも覚えています。「将来はN響だな!」とおっしゃっていただいたことも。
太田先生は東京藝大に入ることが、どれほど難しいことかよく分かっておられたのだと思います。それだけに、とても喜んでくださったのでしょう。とにかく、中学のときに太田先生との出会いがなければ、こんな「奇跡」を起こすことはできなかったし、私が「鐘のおじさん」になることもありませんでした。
人の一生は偶然の運命によって決まっていくのか。そのことを秋山さんの大学入学までのエピソードを知ってつくづく思ってしまう。家にピアノもなく、子どもの頃は野球少年で音楽をやったことがない。東京藝大に入学したとなれば、誰でも親が英才教育を施したに違いないと端っから思うことだろう。しかし、秋山さんは高校2年のときから目指したのだ。それもたまたま小太鼓を習うことになった先生が、藝大の偉い先生だったからである。
しかし、それ以前に秋山さんが中学で合唱部に勧誘されなかったら、こうしたこともなかったに違いない。お姉さんが合唱部に所属していたこと、合唱部の先生が熱心で混声合唱を成り立たせようとしていたこと。NHKが主催するコンクールの東京予選で1位となり、話が高校の先生にも伝わったこと。合唱部に入らされ、吹奏楽部にも誘われ、そこで小太鼓を叩く先輩がいなかったこと。音楽の先生が藝大出身者だったこと。どれもこれも運命としか言いようがない出来事である。秋山さんはその運命に身を任すように音楽の道に進んだのだ。
中学時代に、音楽家となる意志が秋山さんにあったのかといえば、否である。だからこそ、運命が秋山さんを音楽家に導いたように思えてならない。・・・