恐竜化石の発掘って、こんなだったとは・・・ハラハラドキドキの場面もあったり、面白かったです。
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恐竜化石の調査でフィールドを歩いていると、ふと思うことがある。
「いつからこんな探検家のようなことをするようになったのだろう?」
1年のうち少なくとも3ヶ月は、海外で恐竜化石調査を行っている。年明けから準備をスタートし、6月にはカナダ、7月はアラスカ、8・9月はモンゴルに向かうのが、ルーティンだ。
アラスカでは、夏のフィールドといっても雪に見舞われることが多く、グースダウンの寝袋やウールのシャツ、ゴアテックスのジャケットなどで、寒さ対策をしておかなくてはならない。かなりの僻地に、少人数で入るため、持って行ける物資は限られる。
数十キロの荷物を担ぐので、自分の体に合ったバックパックが必須だし、足下の悪いツンドラを延々と歩くには、自分の足に合ったブーツを探しておかねばならない。
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一方、ゴビ砂漠の過酷さはこれまでお話ししてきた通りだ。熱中症対策のほか、調査期間はなるべく少ない衣服で過ごせるように仕度をする。水の確保が難しく、洗濯がほとんどできないためだ。砂対策も欠かせない。・・・装備も準備も、アラスカとはまったく異なるという具合だ。
そんなの当たり前じゃないか、と真の探検家にはあきれられそうだ。だが、そもそも私は恐竜化石を発掘するのを目的としている。日々、怪我をしないかと心配し(発掘現場の近くに病院などない)、一緒に調査する研究者の安否を気遣い(誰かが行方不明になればみんなで捜索に出る)、野生動物に襲われないように注意する(注意していても起きるときには起きる)。こういった緊張感の中で恐竜化石を見つけ出すのだ。研究者を志した時にはこんな毎日を過ごすなんて思ってもみなかった。だがそのなかにしかない大きな快感もある。
毎年、アラスカのフィールド調査が終わりに近づくと、「今年も生きて帰れる」と思う。モンゴルのフィールドを発つときにも、「やっと家に帰れる」と思う。そのくせ、帰りの飛行機に乗り込むたびに、「早く帰ってきたいな」と切望している自分に気付く。
まず何と言っても、そこには、誰も足を踏み入れていない未開拓の地を調査できる快感がある。・・・
一歩足を踏み出すたびに現れる風景。目の前の岩は、もしかしたら人類で初めて目にするものであるかもしれない。そこで化石が見つかろうものなら、間違いなく人類初だ。このような〝大発見〟を自分の足と目で達成できるというのは、間違いなく快感だ。
大学の研究室に座っていると、次々と雑務が襲いかかってくるが、フィールドには電波が届かないため、ややこしい電話もチェックすべきメールもない。目の前にあるのは、白い息を吐きながら集団で歩くドールビッグホーン(立派な角を持つ野生ヒツジ)であったり、オレンジ色に照らされる美しい崖だったりする。そんな大自然に囲まれて、温かいコーヒーを片手に、研究仲間と恐竜について熱く議論する。
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実際のところ、私がかつて恐竜学者というものに抱いていたイメージと、私の研究生活とは、かなりかけ離れているようにも思う。かつてはどこか華やかなイメージを抱いていたが、今現在は、非常に地味な作業でもあると実感している。
ここまでお話ししてきたように、フィールドに到着すると、ひたすら歩く。今日も歩いて、明日も歩く。とにかく気力と体力の勝負なのだ。ひとたび恐竜骨格を見つけると、削岩機やショベル、ハンマーを使って土砂と格闘する。・・・
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恐竜化石調査のフィールド作業は、危険が伴うくせに、とにかく地味なのである。それでも無性に現地に行きたくなる。この気持ちがわかる人は、恐竜研究者向きなのだろう。
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・・・「先生にとって『大発見』とは何ですか」という問いに、私は次のように答えた。
「正直なところ、恐竜研究というのは、非常に主観的なものです。デイノケイルスに謎が多いというのも、私たち恐竜研究者がそう言うから、謎だということになっていました。今回発表した発見についても、権威者がそう言うのだから大発見に違いない、世界最高峰の科学誌ネイチャーが論文を掲載するのだから大発見に違いないと、専門家でない多くの人々は考えるでしょう。言い方は悪いですが、専門家の言うことを信じるしかない。
そうなると、『大発見』とは、私たち専門家次第ということになってしまいます。専門家が『これは大発見だ』と言えば、大発見になってします。言い換えると、私たちが大発見を作り出してしまっていることになる。
しかし、私が考える大発見とは、実は私たちの身の回りに転がっていて、データも現象も見えているのに、それが他とは違う特別なものだと気づいていなかったことに『気づくこと』なのです。大切なのは、大発見を大発見として認識する能力を高め、それを他の人にわかりやすく説明することです」
つまり、「大発見か否か」の基準は相対的なもので、ノーベル賞を受賞するような発見でなくても、ネイチャーに掲載されるような発見でなくても、研究者が大発見だと感じるものであれば、大発見なのだ。これは私だけではなく、あらゆる研究に言えることだと思うし、サイエンスの醍醐味につながる話だと思う。興味をもつこと、好きになることが重要であり、その先に、自分なりの大発見が待っているのだ。
私はサイエンス中毒にかかっている。サイエンスの面白さに病み付きなのだ。私は、自分なりの大発見を探しに、これからも世界へ足を運ぼうと思う。そして、恐竜研究の面白さのほんの一部でも、皆さんに届けることができれば、と願う。同時に、これを読んでいる皆さんにも、外に出て新しい第一歩を踏み出すことで、自らエクスプローラーとなり、自分なりの大発見をしてほしいと思っている。
ここで再度自問する。
「恐竜研究は、人のためになっているのか」
今は、はっきりとした答えは見つけていない。しかし、私が初めてアンモナイトの化石を掘りに行ったときに抱いた、ちょっとした興味。これが、私の人生を変えたのだ。もしかしたら、恐竜を切り口に新しい道をかたちづくり、子どもたちの夢の選択肢を増やすことが出来るかもしれない。
私は、自分がサイエンスの面白さを伝えるという重要な役割を担っていると信じている。恐竜には大きな力があり、その力を多くの人々に伝える大きな使命が自分にあるように感じている。身が引き締まるが、とても素敵な使命だ。