古希のリアル

文庫 古希のリアル (草思社文庫 せ 1-7)

 こういう角度からのエッセイは、そういえば読んだことなかったです。

 

P6

 わたしはこの八年間、なんの変化もなし。いいことである。人間的に「成長」なんかしていない。はっきりわかったことは、「定年後も成長しつづける」なんてことはない、ということである。それどころか、「成長ってなんだ?」とさえ思う。

 識者やマスコミがいう「第二の青春」も「セカンドライフ」もまったく関係がなかった。「豊かな老後」や「老後の充実した暮らし」も、嘘っぱちである。噓っぱちではないか。もちろん、ある人にはあっていいのだけど、わたしにはそんなものはないし、そうならなければ、と意識したこともない。

 「老後」なんてものはない、という気がする。というか、「老後」などどうでもいい。心境の変化といえば、このように考えるようになったことが唯一の変化かもしれない。もう世間の「老後、老後」という掛け声がやかましい。六十歳から七十四歳までの十五年間は「黄金の十五年」だの、「老後の豊かな暮らし」だの、「老後が一番楽しい」だの、「老後の性をどうするか」だのといった一々がやかましい。

 おまえはやけくそか、といわれそうだが、老後ってなんだ?何歳になろうと、あるのは、人それぞれの一日一日の生活だけである。

 

P35

 ・・・じいさんになれてうれしい、という人がいる。高木護という人である(この人のことは、辰濃和男の『ぼんやりの時間』という本で知った)。詩人で文筆家。詩集とエッセイ集合わせて二十五冊ほどの著作がある。ところが、この人が異色なのだ。一九二七年(昭和二年)、熊本県生まれ。小学校を転々とした。一九四四年、軍属として従軍。戦後、十八歳で復員したが、マラリアの後遺症で体を壊し、体重は三十二キロになっていた。父母は亡くなっていた。

 それ以来、体の不調で定職に就くことができなかった。日雇いの仕事だけで糊口を凌いできた。放浪し、浮浪者生活も経験した。就いた仕事は、山の番人、製材所、トラック助手、密造酒造り、劇団員、闇市の用心棒、行商、土方、沖仲仕……と夥しい。百種類以上の仕事をしたという。

 かれは十八歳から七十歳まで、不安定な一時的な仕事だけで凌いできたのである。人はこのようにしても、生きられるのか。筆舌に尽くしがたい暮らしだったと思われるが、とても想像することはできない。高木の次の言葉には、凄みがある。「商売には貴賎なしと教わってきたが、そんなのは『賎』を一度もやったことのない人のたわごとで、ピンからキリまであるようである」(『人間畜生考』未来社)。

 その間、高木は文学修行をしている。同人誌にも参加している。・・・その日暮らしの生活に苦しんだように見えるのに、そんななかで高木は、二十三歳のときに私家版の詩集『裏町悲歌』を出し、二十七歳のときにエッセイ集『夕ご飯です』を公刊しているのである。それ以降、次々と本を書いている。・・・

 それだけではない。驚いたことに、かれは三十七歳のときに結婚し、一男一女を授かっているのだ。ええ?そんなあ?なぜ、わたしは驚くのか。

 そういう困苦が極まった人は、ふつう結婚などできるはずがないという、こちらの勝手な思い込みがあるからである。よく奥さんに来てくれる人がいたねえ。さらに、そういう人は、人並みの「しあわせ」などを手に入れてほしくはない、というわたしの傲慢さがあるからである。これは、見下しているのではない。むしろ逆である。ひとりの不動明王を見たい、というわたしの自分勝手な希望なのだが、それを他人に求めるというのは、わたしの嫌らしさである。

 高木護は、終戦記念日には、毎年、坊主になり、一日断食をするという。片目がまったく見えないらしい。そして、かれは七十歳になった。

 高木はそのあたりのことを、こう書いている。「七十歳で、わたしは爺さんになった。(略)わたしみたいな能なしののろまは、とうてい人並みには〝爺さん〟にはなれまい、爺さんにはしてもらえないだろうと諦めていた」。それが、六十歳代になった頃から、「わたしみたいなできのよくないクズ野郎でも、人並みに爺さんになれるかもしれないと、意を強くしたものだった」

 

 そして、七十歳になった日に、

「おぬし、きょうから爺さんだよ」

 自分で、わたしにいってやった。〝おめでとう〟〝ありがたいではないか〟ともいってやった。

 こんなわたしでも、人並みに爺さんになれたのか、〝よかったな〟と、ほっとしただけではなく、うれしかったのだ。  (『爺さんになれたぞ!』影書房

 

 ・・・

 こんな文章もある。これはわたしにも、よおくわかる。「朝三時に起きてから、七時間なにもしていない。『何もしなかったのは、時間にはもうしわけないけれど、気持ちのよいものである。爺さんになってまで、しゃしゃり出てばたばたしていたら、なんで爺さんになったのかわからなくなってくる』」

 ・・・

 わたしが好きな文章はもうひとつある。

 

 悠々ということばもある。

 閑々ということばもある。

 堂々という、

 静々という、

 のびのびということばもある。あるけれど、わたしにはりっぱ過ぎるので、

 ゆっくり

 ゆったり

 のんびり

 ぶらぶら

 のろのろと一日を過ごすのが、わたしという爺さんの努めではないかと信じている。それから、一日に一回は、〝何かよいことがありますように〟とつぶやいている。合掌をすることもある。  (『爺さんになれたぞ!』)

 

 わたしの「ゆっくり」や「のんびり」はけっして「努め」ではない。ただ好きなだけである。二十歳をすぎた頃から、高木護は「晩年」「余命」「余生」「往生」という言葉が「好きでならなかった」といっている。現在もご存命だと思われる。九十歳か?どうぞお達者で。

 ところで、かれの『人間畜生考』という本は一九八八年に出版されているが、奥付に筆者の住所と電話番号が記載されている。いまでは到底考えられない。その点だけでいうと、当時はまだよき時代だったのだ。