ウマし

ウマし (中公文庫 い 110-5)

 伊藤比呂美さんにかかると、食べ物エッセイもこうなるのか・・・と驚きつつ読み終えたら、あとがきにこんな風に書かれていました。

 

「食べ物エッセイをふつうに書こうと思っていたのであります。

 やはり今まで六十数年間、食べてきたわけだし、食べ物にはさんざんこだわってきたのだし、家族にごはんを作ってきたし、いろんなところに行った、住んだ、食べた経験はあるし、カリフォルニア在住で、国際的な複合文化の家庭だし、文化や文化を比較考察しながら、食べ物について考えを深め、ウマいマズいを究め、なんてことを考えながら書き始めてみたら、ちっともそんなふうに書けないのだ。書けなくて焦ったのだ。そしてそのうち、なんだか気がついてきたのである。

 もしや食べ物とは、食べ物のふりをしているが、ほんとは何か別のものなんじゃないか。別のものとは一体なんだろうと考えていっても、よくわからない。もしかしたら自分じゃないかという気さえ、しきりにする。」

 

P174

 昔から包丁使いが巧い。千切りもみじん切りもお手のものだ。かつらむきも面取りも飾り切りも手を抜かない。・・・この頃この腕前を生かせることを見つけた。・・・

 ・・・

 ・・・「オレンジ・シュープリーム」。訳せば、最高のオレンジ。オレンジのむき方の中で、いちばん上品でぜいたくだと言われているむき方なのである。

 包丁使いの腕が鳴る。血がたぎる。包丁を操るというのは、攻撃性と実用性とエロティックな欲望を同時に満たしていくことだ。・・・

 さて、方法はこうだ。まず包丁を研ぐ。じっくり研ぐ。そしてオレンジの両端を切り落とす。南極と北極をすぱんと切り取った地球儀みたいな形にして、まな板の上に据え置く。包丁の刃を、厚皮の下の薄皮のさらに下に差し入れて、上から下へ、地球儀の丸みに合わせて、厚皮も薄皮もそぎ取っていくのである。

 こうやって果肉がむき出しになる。一つ一つの袋を分けている薄皮が、筋になって、表面に浮き出して見える。それに沿って刃を切り込んで、薄皮から果肉を切り離し、取り出す。つややかな果肉だけが取り出される。それは確実にわたしが包丁を入れて切り取ったものなんであるが、なんだか自分からするりとむけて出てきたみたいに見える。

 

P204

 ハマる心はおそろしい。一旦ハマるや、それがないと生きてる気がしないのだ。因果な性格だとわれながら思う。これなら、何かとんでもないものにもハマれるんじゃないか。たとえば鉛筆とか、靴底とか、使用済みバンドエイドとかだって、いったんハマれば食べつづけられるんじゃないかとさえ思う。

 ある日とつぜん目が覚めたら食べたくなっていたのだ。数日前のこと、近所のスーパーのお惣菜コーナーに大容器入りのゼリーがあったのをちらりと見て、アラ、ウマそうと思ったが思い留まった。それが心の底に潜んでいたのかもしれない。目が覚めて最初に考えたのも、あそこに行ってあれを買ってこようということだった。ところが、そのときに限ってそれがなかった。その途端、執着の心がめらめらと燃えあがり、あたしは箱入りのゼリーの素、つまりJell-Oを十個ばかり買って帰り、作って食べた。それ以来買いつづけ、作りつづけ、食べつづけている。

 ・・・

 Jell-Oの透き通ってつるんぷるぷるの感触は、他のつるんぷるぷるとしたものと違う。寒天、こんにゃく、葛湯、葛餅、葛桜、わらび餅、れんこん餅……どれとも違う。ゼラチンだから、煮こごりに近い。しかしあんまり人工的で安っぽい。それでいろいろ工夫を施してみた。

 そこにぷるぷるのチアシードを入れたら、ダブルぷるぷるじゃと考えた。ところが失敗した。チアのせいでジェロは固まらなくなり、ぐちゃぐちゃになり、形をなさなくなった。次に牛乳を入れてピンクのゼリーを作ろうとしたがそれも失敗した。Jell-Oと牛乳が分離して、牛乳入りの部分は少し古い血糊の白いのみたいになり、もやもやで、ぐずぐずで、でろでろである。ああ、日本語のオノマトペは便利すぎる。どんな状態だって言い表せて、言語とは呼べないところまで走っていきそうだ。

 それで今は箱に書いてあるとおり、いや、カップ二分の一ほど水を多くしてゆるめに作る。歯を使ってごきゅごきゅと食べるより、歯を閉じたままちゅるちゅると吸うようにすすり食うと、ゼリーが、ジェルが、ジュレが、歯のすきまから入りこんでくる感触が、原色もきつい香料も人工甘味も忘れさせるほど、ウマい。