ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた つづき

ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた

 つづきです。

 京都のバザールカフェとはまた趣きが違うようですが、大阪にもこんな場所があるのだなと思いました。

 

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 ・・・詩人でNPO法人「こえとことばとこころの部屋」代表の上田假奈代さんは、「喫茶店のふりをした」空間のココルームを釜ヶ崎の商店街で営む。2012年、無料のワークショップ「釜ヶ崎芸術大学」(釜芸)を開校し、詩や音楽、さらには井戸掘りなど年間100講座ほどを開催している。オンラインも併用し、参加者は「釜のおっちゃん」から海外の若者まで幅広い。

 ココルームにはいろんな人が出入りし、誰がバイトで誰が客か、よく分からない不思議な空間である。畳に座り、自家製しそソーダを飲みながら取材していると、山盛りのメロンが出てきて私もごちそうになった。飲み物を注文するわけでもなく、講座にも参加せず、ただ毎日やって来る「おっちゃん」もいるらしい。

 釜芸は芸術を通して、誰もがその存在を認められる場所を育むことを目指す。

「大事なのは芸術作品をつくることではなく、表現できる場をつくること」と上田さんは言う。重視するのはコミュニケーションだ。例えば、詩作ではペアになって互いの思い出を話し、その内容を聞き手が詩にする。井戸掘りでは普段、土木現場で働いている「おっちゃん」が「先生」になって、若者に手ほどきする。

 表現を通じた関係性は、年齢や職業、収入といった区別を相対化していく。その過程で自らの偏見の源泉に気が付くこともあるだろう。その偏見は自分の苦しみのせいかもしれない。この資本主義社会で金を稼ぐため、家族や健康を犠牲にして働き続けてきた社会のマジョリティが「我慢だらけの人生のせいで、頑張っていないように見える人たちを許せなくなるのでは」と上田さんは分析する。

 それは間違いなくマジョリティの偏見なのだ。ビル、ダム、原発などをつくってきた釜ヶ崎の名もなき労働者たちは、現場でとても勤勉だと、自らも13年前まで日雇い労働に従事していた生田さんは言う。そして間違いなく、彼らは戦後日本の高度経済成長を支えてきた。・・・

 


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