内田洋子さんのエッセイが好きなので手に取りました。
P34
古代オリンピックは、至上神ゼウスを崇めるための祭事だった。アスリートは男性限定で、強い女性が紛れ込まないように、全裸での参加が条件だった。真夏の開催である。ギリシャの強烈な日差しから肌を守るために全身にオリーブオイルを塗り、滑り止めに砂をかけて競技に出た。民衆は、輝く裸体の競い合いに熱狂した。一週間の競技開催中は、すべての争いは休戦とされた。天地を主る神への敬意と人間の心身の健やかさを讃え合う平和な祭典だった。
P245
数年前、山村の古本市で知り合ったロベルタに呼ばれて、彼女の家でおしゃべりをしている。道すがら出合った色や香り、音や味の話をし、彼女にも特別な旅へと旅立たせるような味や匂いがあるかどうか尋ねてみた。
ロベルタは九十歳近い年齢で、小学生のときにナチの強制収容所への送還から逃れたユダヤ人だ。順々に周囲の人たちが、わけもわからずに連行されていく。ある日母親はロベルタの髪を短く刈り上げ、ぎゅっと抱きしめたあと、
「逃げるのよ。きっと生きて、また会いましょう」
長らく住込みで家事手伝いをしていた女性に、幼い一人娘を託した。
<この先いったい自分はどうなるのだろう>
十歳になったかならないか。父親は外地で捕まったと聞いた。生死も知れない。親族は全員、強制収容所へ連れていかれてしまった。
「別れ際に持たされたのです」
ロベルタは、壁から大切そうに額を外した。中には、本が収まっている。
『ピーターパン』
角は擦れて丸くなり、朽ちて色を失った表紙は擦れると崩れ落ちてしまいそうだ。
地下壕の中で逃げる道中で、繰り返し読み、暗記し、それでもページを繰っては低い声で朗読した。
ロベルタはそうっと顔を古びた本に埋めるようにし、目を閉じて胸いっぱいに古い紙の匂いを吸い込んだ。
いつでもどこでも胸を開いて、美しい場所へ連れていってくれる。
「本は、母親でした」
P250
報道の仕事を始めた頃、先輩から言われた。世情は、市井の人々の心情が積み重なって成る。バールで、公園で、電車内で。ふと耳にした話や目に留まった情景が、いつまでも頭から離れないことがある。たいしたやりとりをしたわけではないのに、忘れられない人がいる。なぜなのかは、追いかけてみなければわからない。
とりあえず行ってみよう。
四十年を超えたイタリアでの暮らしには、明確な目的や予定、計画はなかった。先の保証を気にしない性格が幸いしたのか、思う存分の自由を手にして、行きたいときに発ち、気になる人と過ごして、勘を頼りに知らない地を巡る贅沢を味わってきた。
できるだけ行きにくいところを目指し、知られていない光景を探し出す。今までも、そしてこれからもイタリアを訪れることはないだろう人へ、自分が代わりにとびきりの眺めを切り取ってくる。その場にいっしょにいるかのように、音や匂い、木陰や日向の温もりを感じてもらえるように伝えよう。そういう報道もあっていいのではないか、と思いながら働いてきた。