ヤマザキマリさんのエッセイを読みました。
P97
「息子にとってこの世で誰よりも理不尽でありながらも、お人好しなほど優しい人間である母ヤマザキマリ。そんな母のおかげで国境のない生き方を身につけられた私は、おかげさまでこれから先も、たったひとりきりになったとしても、世界の何処であろうと生きていけるだろう。山崎デルス」 『ムスコ物語』(ヤマザキマリ著 幻冬舎)より
2021年の夏、デルスの子育てをしていた頃のことを綴ったエッセイを上梓しました。その本にデルスがあとがきとして寄せてくれた文章の一部がこちらです。
デルスが生まれたとき、産声を聞いたその瞬間に決めたことは、彼の父である詩人の恋人と別れることでした。この世に生まれれば、否が応でも生きる困難に向き合うことになる。せめて子どもとして過ごす間は、人生には面白いことも楽しいこともたくさんあるということを、私が身をもって見せなければならないが、詩人と一緒にいたらそれは叶わない。そんな核心に触れた後の決断はあっという間でした。
そうしてシングルマザーとして歩み始めた私が息子に対して願うようになったのは、「人間より、地球から愛される人になってほしい」ということでした。どこにいても、「あなたは生まれてきてよかったんだよ」という地球からのメッセージを感じられる人でいてほしかったのです。そうであれば、一人になっても、世界のどこででも、生きていける。
成長したデルスが書いた文章のなかで、彼がそう思えていることを知り、私の子育てはもう終わったのかなとしみじみ感じました。
息子とは、彼がまだ小さな頃から言葉も文化も違う場所によく旅行に出かけるようにしていました。世界には多様な価値観があることを、肌で感じさせるためです。さらに小学4年生からは、私の結婚による親の都合でシリア、ポルトガル、アメリカと、〝世界転校〟を何度も余儀なくさせてしまいました。その度に現地に放り込まれ、しなくていい苦労たくさんし、惨憺たる思いを経験してきただろうと思います。
デルスも今や20代半ばの青年になりましたが、私の世代の人間よりも諦観しているのではとさえ思うほど落ち着いています。本や漫画から日本語を学んだせいもあって、話し言葉も常に丁寧。腹の据わった言動を見ていると、理不尽な人間と一緒に暮らすとどうなるかという見本ではないかと思えてきます。
P215
古典の言葉がいかに今にも通じるものであるか、私が手元に控えている言葉をご紹介したいと思います。いずれも古代ギリシャの哲人、アリストテレスの言葉として伝わっているものです。
「自己とは自分にとって最良の友人である」
14歳でヨーロッパに一人旅に行ったときに、実感を得た言葉です。
「板垣は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている」
つらいことにぶつかったときなどに、思い出しています。
「大事を成しうる者は、小事も成しうる」
尊敬する人は皆、このような側面をもっています。
「若者は簡単に騙される。なぜならすぐに信じるからだ」
「信じる」ということは、一種の怠惰の表れだと私は考えています。
「世間が必要としているものと、あなたの才能が交わっているところに天職がある」
表現を生業としている立場として、常々考えている言葉です。
「自然には何の無駄もない」
この世界の真意ですね。
山下達郎さんが、かつて担当しているラジオ番組で「なぜ過去にはいい音楽ばかりで、今はそうではないのでしょうか」というリスナーからの質問に対し「過去にはいい音楽ばかりがあったわけではない。いい音楽だから残っているだけです」という答えを返されていました。その山下さんの言葉は、ここに挙げたアリストテレスの格言も含め、いかなる文化にも通用することでしょう。
そして、引き継がれる遺伝子の精神の糧となるものとして、どのような事柄がこれから残されていくのかは、今後この地球に現れる人類が決めることでしかないのです。