漫画家いがらしみきおさんと、いがらしみきおさんの大ファンというイ・ランさん(音楽、映像、文学、漫画とマルチ過ぎる才能を持ったアーチストと紹介されていました)の往復書簡。興味深く読みました。
P14
いがらしさんへ
今日は保険会社の本部長が韓定食をごちそうしてくれるということで、江南にある駅三洞に行ってきました。保険会社で働くようになったのは、以前にお話したようにCOVID-19のせいで予定されていた仕事がなくなって急に時間に余裕ができたとき、末期がんで闘病中の友達にがん保険の加入を勧められて保険外交員数人とミーティングをしたことがきっかけでした。
私は、わからないことがあれば理解できるまで質問して学ぶことが好きなのですが、「保険」については何回ミーティングを重ねてもうまく把握することができませんでした。何度も会うお願いをして毎回何時間も質問し続けたので、保険外交員のひとりに自分でも勉強して資格を取ってみてはどうかと言われました。ちょうど時間に余裕があり、新しいことを勉強することを好む私にとっても、興味深い提案でした。というわけで、知らないことがなくなるまで一生懸命勉強して、2か月後に保険外交員の資格を取得しました。・・・
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韓定食専門店で会った保険会社の本部長と副支店長のふたりを簡単に説明すると「1位でなければ我慢できない人」です。他人よりよい車、他人よりよい家、他人より多くのお金、そういったものが彼らの自尊心の大部分を構成しているという印象を受けました。・・・
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一人前5万ウォンもする韓定食を頼んで、ゆっくり出るコース料理を楽しみながら2時間ほど会話を交わしました。私の第一印象はかなり怖くて、自分に向かって迫ってくるような気がした、みたいなことを言っていましたが、今日の会話での私の印象はとても哲学的だったようです。そして、こんな助言をされました。
「あらゆるものやすべての日常の本質を知ろうとしないで、見過ごしなさい」
すべてのものごとの本質を知ろうと思えば、すぐにつかめる幸せも感じられなくなるということでした。おいしいものをおいしく食べて、楽しい時間を楽しんで、欲しい物を手に入れるのです。
でも、私にはできそうにもありません。・・・私はその助言を聞いて、なぜそんなアドバイスをするのか聞きました。その答えを正確に思い出すことはできませんが、「皆にとって価値があると思うことを気楽に信じてついていけば、あるいは先にその価値を知って利益を得ることができれば、それこそがよい暮らしなのだ」というのがポイントだったみたいです。あなたの自尊心は、本当にその価値を他の人たちよりたくさん持っているところからくるのですかと聞いたら、彼はそうだと答えました。・・・
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私は幼いときから聖書に基づく家庭教育を強く受けながら育ちました。・・・
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・・・聖書では神様が住む天の国を描写する場面がたびたび出てきます。門は真珠、町はきれいな純金、・・・神様はなぜこんなに宝石が好きなのか知りたくなりました。神様がこれほどまで金銀財宝が好きだったせいで、人間も自然に好きになったのでしょうか。
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いがらしさんは何か強烈に欲しいものはありますか?私が同じ質問を聞かれたら、何と答えるだろうかとこの文を書きながら考えましたが、なかなか思いつきませんでした。まあ、とりあえずは神になれたらと思います。なぜなら、今まで神様に会ったことがないので、神様になって他の神様に会えるなら、ちょっと聞きたいことがたくさんあるからです。
もし願いがかなったら、なぜ金が好きなのか、なぜ宝石が好きなのか、なぜ何かを必ず持たないといけないのかなど、そういうことを聞いてみたいです。
P99
いがらしさんへ
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私のセカンドアルバムのタイトル『神様ごっこ』・・・は、イ・チャンドン先生の授業中に聞いた話をヒントにしています。最高の演出は、事件が起こった場所にカメラがたまたまあったかのように場面を映すことだと学び、それを「神の演出」と呼ばれていた覚えがあります。そのとき、映画監督というのはカメラの中に自分が見る世界を写す、「神様ごっこ」をする職業なんだと思って、その後、その題名で歌をつくりました。
私が見ている世の中のことについて誰かに話せるのは、どうしてこんなに楽しいのでしょうか。また他の人はどんな世の中を見ているのかを聞くことも、とても楽しいことです。最近の私の将来の夢は「見物人」になることです。他の人々が何をして、どのように暮しているのか、一生見物しながら暮らしたいです。
P200
ランさんへ
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・・・映画というのは、時にそういう人物を見せてくれます。我々はそうしたキャラクターからなにかを学ぶのですが、それはたぶん自分の人生で実践できることではないかもしれない。だけど、学ぶんですよ。いつか使えるかどうかもわからなくても、我々は映画から学ぶんだと思います。それが映画の魅力です。私も『ノマドランド』のマクドーマンドから学びました。「生きていけるぐらいのカネを稼いだら、そのカネがあるうちは好きなことをやれ」と。
P216
ランさんへ
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私の娘も6月に入籍したとお伝えしましたが、日本でも結婚が家と家の一大行事ではなくなってきています。入籍の前に家族同士の顔合わせがありましたが、ひとりっ子同士の結婚なのに、ホテルで昼食をごいっしょしただけの簡素なものでした。私の若い頃の結婚とは大違いです。もちろんこっちの方がいいし、結婚自体がいずれ廃れて行く制度かもしれません。日本もそうですが、韓国でも結婚しない人や出産しない女性が増えているそうで、いずれ中国もそうなるだろうし、世界の人口が減少に転じる日が来ると思います。私は人口が減るのがそんなに悪いことだとは思いませんが、それは行き過ぎた資本主義社会や終わらない環境破壊への、我々が出した答えだとしたらどうでしょう。
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この前『ノマドランド』の話をしましたが、あの映画でフランシス・マクドーマンドが演じる主人公のファーンは、あきらかに戦っていたのではないでしょうか。国家や企業と戦っていたのではなくて、自分の目の前に次々とやって来る苦難と戦っていたと思うし、その戦いの合間に生きていることを楽しんでさえいました。確かに、お金持ちになれば、ほとんどの苦難はおカネで解決できるかもしれません。しかし、そんなことは一時的なことで、苦難のない人生などありえない。本来、音楽も文学も映画も芸術も、すべて苦難の中にいる人のためのものです。苦難を知らないと理解できないし、苦難を知らないとつくれないものであるはずで、それは66歳になった漫画家の古い考えかもしれませんが、漫画を書き続ける場合の一番シンプルなルールだったと思います。