カフカはなぜ自殺しなかったのか?

カフカはなぜ自殺しなかったのか? 弱いからこそわかること

 相当大変な方だったようですが、理解者がいたことに驚きました。

 

P58

 カフカは「労働災害予防手段開発部門」に配属されます。労働者がケガをしないようにあれこれ工夫するのが仕事です。・・・

 細かいことにまで神経をとがらせ、弱者にやさしいカフカには、ある意味、とても向いている仕事です。実際、指や腕が切り落とされる事故の多い製材機械の問題点を見つけて、その後の事故を未然に防いでいます。

 安全対策が充分でなかったために障害者となった労働者たちについて、ブロートはカフカのこんな言葉を伝えています。

「なんと慎ましい人たちなんだろう。彼らはわれわれのところに頼みに来るんだよ。保険局に襲撃をかけて何もかもこっぱみじんにぶちこわす代りに、彼らは頼みに来るんだよ」

 これは後のことですが、建築現場で左足を砕かれた老齢の労働者が、法律上の不備のせいで、カフカの勤めている「労働者災害保険局」から年金をもらえそうにありませんでした。そのとき、名のある弁護士が乗り出してきて、お金をもらえるようにしてあげました。しかも、その障害者の老人から、まったく報酬をもらわずに。

 この弁護士に依頼し、支払いをしていたのが、じつはカフカだったというのです。

 ・・・

 ・・・病気になって辞めるまで、カフカはこの「労働者災害保険局」に勤め続けます。生前のカフカは、自分としては小説家でありたかったのですが、実際にはずっとサラリーマンだったのです。

 

P73

 このところ、ぼくは自分についてあまり書きとめていない。

 多くのことを書かずにいた。

 それは怠惰のせいでもある。

 

 しかしまた、心配のためでもある。

 自己認識を損ないはしないかという心配だ。

 この心配は当然のことだ。

 というのも、書きとめることで、自己認識は固まってしまう。

 それが最終的なかたちとなる。

 そうなってもいいのは、書くことが、

 すべての細部に至るまで最高の完全さで、

 また完全な真実性をもって行われる場合に限られる。

 

 それができなければ

 ―いずれにしてもぼくにはその能力はない―

 書かれたものは、その自律性によって、

 また、かたちとなったものの圧倒的な力によって、

 ただのありふれた感情に取って代わってしまう。

 そのさい、本当の感情は消え失せ、

 書かれたものが無価値だとわかっても、すでに手遅れなのだ。

    1911年1月12日(27歳)日記

 

 少し難しいですが、ここはとても大切なことを言っていると思います。

 じつは最近、「言語隠蔽」という現象が明らかになってきています。

 ・・・

 世の中のだいたいのものには、言葉にできる要素(言語要素)と、言葉にしにくい要素(非言語要素)があります。配分は、それぞれにちがいますが。つまり、世の中のだいたいのものについては、多かれ少なかれ、「言語隠蔽」が起きるわけです。

 たとえば、紫色の正方形のハンカチがあったとして、「正方形のハンカチ」ということは完全に言語化できますが、その紫色がどのような微妙な色合いであるか、その手ざわりがどのようであるかなどは、完全には言語で表現することができません。

 ・・・

「言葉に対する不信と絶望を前提にしなければ、作品に自己の全存在を賭けるなどという無謀な決意も、生まれてくるわけがないのである」安部公房(『安部公房全集20』新潮社)

 カフカもまた、そうした作家のひとりであることが、この日記の言葉からもうかがわれます。

 なお、「言語隠蔽」は、作家にとってだけ重大なわけではありません。

 私たちの日常にも大きくかかわっています。

 ・・・

 ・・・ゴルファーに、自分のショットについて言葉で説明してもらうと、その後の成績が、がた落ちになるそうです。身体の動きというのも、言葉ですべて説明することはできませんから、言葉にするのは危険なのでしょう。

 逆の例ですが、これは私自身が目にしたことです。

 いろんな人が自分の好きな本を紹介するという会に出席したのですが、紹介者のうちの何人かが、自分の人生を大きく変えたほどの影響を受けた大好きな本について、ほとんど言葉で説明することができませんでした。ご自身でもなぜだろうと戸惑っておられました。

 これには私はとても感動してしまいました。

 大好きであり、理解が深いからこそ、言葉にできないのだと思います。

 ・・・

 ただ「好き」というだけで、もやもやしていて、言葉では説明できない。

 恋愛でも文学でも、そういう状態がとても大切です。

 はっきりつかもうとしないことで、かえってちゃんとつかめているのです。

 

P251

 亡くなる前、カフカは医師に頼んで、ドーラをお使いに出してもらいます。自分が苦しんで死ぬところを、ドーラに見せないようにするためです。

 けれども、いよいよ最期のとき、カフカはドーラを求めます。看護師が人に頼んで、急いでドーラを追いかけてもらいます。ドーラはカフカのために買った花を手に持って、息せき切って、駆け戻ってきました。

 でも、カフカはすでに息絶えていました。ドーラはカフカにすがりつき、「フランツ、きれいな花よ、これを見て、匂いをかいで!」と語りかけました。

 看護師の証言によると、「そのとき、すでに事切れていると思われた瀕死の患者が、もう一度身を起こし、花の匂いを嗅いだのです。不可解なことでした」(『回想のなかのカフカ』)

 そして、カフカは微笑しました……。

 

 いつもいつも、

 死にたいと思いながらもまだ生きている。

 それだけが愛なのだ。     

                カフカ