つづきです。
恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」でピアノ演奏を担当したことから、対談も収録されていました。
P116
恩田 プロコフィエフ!いいですね。ソナタは9曲、未完の遺作も入れれば10作ですか。全部弾いてほしい……。
藤田 でも、どうしてもためらいがあるんですよ。彼の地に生まれた方々にとってプロコフィエフは、心の拠り所のような存在でしょう?日本人の私が手を出して良いのだろうか、という怯えがあります。なにより私の世代が、戦時下の苦しみを表現した彼の音楽をどう解釈するべきなのかは、悩ましいところです。
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恩田 私、最近の藤田さんの演奏を聴いていると、酸いも甘いも知り尽くして、成熟した先にある音楽とでも言いましょうか。藤田さんは現実に生きている年数は短くても、音楽の中でいろんな人生を歩んでこられたのでしょうね。
藤田 そんな風に言っていただけるととてもうれしいですね。そうか、考えてみれば、小説もそうですよね。恩田さんも、いろんな時代や国のお話を作られていますものね。
恩田 そう、人を殴ったこともないのに殺人鬼の話とか書いていますよ(笑)。
私は作家の山田正紀さんの「虚構でなければ語れないことがある」という言葉をいつも心に留めていて。体験していないからこそ表現できるものがきっとあるはずだと信じています。だからこそ、藤田さんにしか奏でられない「戦争ソナタ」があるのだと思います。いつかまたぜひ弾いてくださいね。
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藤田 ・・・ちゃんとしたプロセスで、一つひとつの曲と真摯に対峙していれば、自然と音楽は広がっていくものだと思うので。
でもこの考え方は、不遜なのかもしれません。「若いんだから、もっと自分をアピールするための努力もするべきだ」と言われたりもします。・・・でもどうしたらいいのかわからないんです。演奏以外のことを考えるのは、あまり得意ではなくて。
恩田 藤田さんは、パフォーマンスではない、本物の音楽を届けることができる方ですから、そんなことをされる必要はまったくないと思いますけどね。
私は常々、今の時代に小手先のマーケティングをするのは無駄だと思っているんです。数か月で流行がガラッと変わる世の中で、息の長い仕事をしようと思ったら、自分ができること、そして心からやりたいことをするしかない。
藤田 第一線で走り続けてこられた恩田さんがそう仰っていると、すごくほっとします。・・・
P128
・・・昨晩23年1月25日に行われたニューヨークのカーネギーホールでのデビュー・リサイタルの思い出を、早速ここに書き留めてみたいと思う。
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実は私は今回のプログラムにいささか不安を覚えていた。アメリカでのデビューというと、有名曲やヴィルトゥオーゾの要素がふんだんに盛り込まれた作品を並べた方が受けは良く成功しやすいとされる。一方で今回私が並べた演目は、作曲者こそ著名だが、作品自体はマイナーな曲が多い。そのため詳細な音楽的要素を一つも逃すことなく、どの瞬間も決定的な音を出し、ストーリーを感じさせる、そんな解釈と曲の並びを作り上げるよう心がけた。決して表面的な音楽ではなく、構造美を意識して内面から音楽を支えるよう意図したのだ。結果的にそれは良く作用し、アメリカでも私の意図が伝わったのではないかと感じた。ホール中のスタンディングオベーションで、私のカーネギー・デビューは満面の笑みをもって終演した。
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日本、ロンドン、ドイツ、スイスーカーネギーホールには、世界各国から私のマネージャーやプロデューサーが集まってくれた。全ての出会いや自分の選択が、現実を形作っているということを、こういうときしみじみと感じる。人生というのはなんと面白いものなのだろうか。そんなことを考えながら、私の思い出深い一日は幕を閉じた。
P144
リサイタルが終わるとすぐに私は、バンクーバー国際空港に向かった。空港ではよせばいいのにサブウェイに入り、サンドイッチを頼んだ。よせばいいのにというのは、私は日本でもサブウェイに行ったことがなく、お店のシステムをよく知らないのだった。だが一度お店に入ったのであれば、もうそこのお店と心中するというのが私の理念であるため、苦労しながら、無事私が求めていなかったラージサイズのチキンサンドイッチを購入した。
P158
翌日はミラノ音楽院にあるヴェルディホールでのリサイタルだ。リハーサルを行おうと音楽院に入ろうとしたら、守衛さんに止められてしまった。自分が何者かを伝えなければならなかったのだが、私はイタリア語が全くわからず、英語も通じない。窮地に立たされた私は守衛さんに自分が写っている公演ポスターの写真を見せると、彼は「オー!マエストロ!プレゴ!」とイタリアの太陽のような笑顔を向けて、楽屋へと案内してくれた。
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ミラノでの藤田真央認知は全くなく、この日は1420席のキャパシティのホールの1割ほどのお客様しか集まらなかった。デビューしたての17歳のころの記憶が蘇り、なんだか初心に返った気分で、笑みがこぼれる。舞台に上がると、楽屋の劣悪な環境などすっかり忘れ、名も知らない日本の若造の演奏を聴きに来てくれた皆さんに丁寧に挨拶しようと会場を見渡した。
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その後のディナーでは運命的な出会いをすることになる。
私はアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを愛してやまない。それまで食べたアーリオ・オーリオの中で頂点だと思っていたのが、ルツェルンのレストラン<ロステリア>のものだ。
この日、ミラノの<ココ パッツォ>で食べたペペロンチーノはルツェルンのものと双璧をなすくらいで、感銘を受けた。とてもシンプルな味付けにもかかわらず、ニンニクが特別なのか、オリーブオイルが良質なのかわからないが、一口食べたらエネルギーが湧き、もう一口食べたら神秘を感じ、さらに一口食べると恍惚とする。あっという間にたいらげてしまったが、これがまさに「また食べに来たい」と思わせるものだった。これは私も見習わなければ―我々ピアニストも、どんなに素晴らしい音、解釈で演じようとも、また聴きに来たいと思ってもらえないと生きていけなのだ。そんな哲学を街の小さなイタリアンレストランのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノが教えてくれた。
