天才なのに変態で愛しい数学者たちについて

天才なのに変態で愛しい数学者たちについて

 数学は早々に挫折してしまったので、紹介されている功績はきれいさっぱりわかりませんでしたが(;^ω^)、数学者が見ている世界は相当違うんだろうなと、好奇心を刺激されました。

 

P2

 本書はド文系のライターが書いた、「数学にくわしくない大人」や「数学に興味をもちはじめた中高生」でも気軽に楽しめる数学史の本です。クセの強めな数学者たち15人の人生と、その功績をコンパクトにまとめました。

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 さて、本書で究極的にお伝えしたいことはこれです。

「普通じゃないって素晴らしい!」

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 日本は学校教育制度からして「普通じゃない子ども」に冷たい国だと感じます。

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 原稿を書き進めながら「この数学者が日本の学校に通っていたら、果たして才能は開花したんだろうか?」と感じたことは一度や二度ではありません。

 もちろん本書で取り上げる数学者たちのなかにも発達の特性などが原因で周囲からのけ者にされた人がいます。しかし、その才能を見抜いて支援してくれる人たちがいたことで偉業を達成できたケースが多くあるのです(ジョン・ナッシュの話は感動します)。

 人選と原稿チェックに関しては現役バリバリの数学者、東北大学の千葉逸人先生にお願いをしました。最終章は私が千葉先生にインタビューをする形で「数学者のリアル」に迫っていますので、ぜひご期待ください。

 

P26

 私たちが惑星の軌道を計算したりロケットを飛ばせるようになったりしたのも、ニュートンが見つけた万有引力の法則や運動の法則のおかげ。高校物理で習う力学にいたっては、彼がその理論を整理したので別名「ニュートン力学」とよばれるほどです。

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 ニュートンの研究対象は、物理や数学に留まりませんでした。たとえばライフワークとして神学(キリスト教の研究)に取り組んでいました。神学と聞くと非科学的にも思えますが、むしろ科学とは神の創造した宇宙の原理を解き明かす学問であると考えており、そこに矛盾はなかったそうです。

 また研究の合間には「息抜き」として錬金術も続け、いろんな材料を混ぜては金や銀をつくろうとしていたようです。まるでオカルトの世界ですが、現代でいえば化学のことです。

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「プリンキピア」はニュートンが1年半かけて集中的に書きあげた超大作でした。それで燃え尽きてしまったのか、学会での論争に疲れ果てたのか、40代後半くらいからの彼は、研究者としてよりも実務方面に軸足を移していきます。

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 実務家ニュートン株式投資も積極的に行い一時期は現在の日本円で6億以上の資産を持っていたそうです。造幣局長官という立場でしたから、普通の人が知らない情報を入手しやすかったのかもしれません。

 しかし、あるとき所有していた貿易会社の株が暴落し、半分以上の資産を失ったといわれています。このときニュートンが残した言葉が秀逸です。

「私は天体の動きは計算できるが、人々の狂った行動は計算できない」

 王立協会の会長にも就任し、イギリスの上流社会を歩んでいったニュートンは、自然科学者として初めてナイトの称号を贈られ、84歳で亡くなります。ロンドンのウエストミンスターにあった豪邸は、現在、公立図書館として使われています。

 

P70

 ガウスと並び「数学界の二大巨人」とよばれるオイラー。彼は1707年、牧師の子としてスイスのバーゼルで生を享けました。・・・

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 オイラーはその数学的功績もさることながら、数学史上最も多く論文を書いた科学者として知られています。彼が初めて論文を書いたのは18歳のとき。そこから半世紀にわたる研究者生活の間に書いた論文や教科書、あるいは学術的に重要と思われる手紙の数は866本。普通の数学者が生涯をかけて書く分量をたった1年で書いてしまうペースです。簡単な論文なら30分くらい、まさに朝飯前で書いていたようです。

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 オイラーは30代で高熱により片目を失明しており、彼をベルリンに呼んだプロイセン国王からは「隻眼の巨人」とニックネームを付けられていたそうです。そしてもう片方の目も白内障にかかり、徐々に視力を失っていき、60歳前後で盲目になっています。

 徐々に目が見えなくなる状態に置かれたら、普通の人は絶望して研究どころではないでしょう。しかし、オイラーはあくまでもポジティブ。「これで数学に集中できる」と言っていたそうです。

 そしていよいよ両目の視力を失うと察した段階から、息子や弟子たちに口述筆記の訓練を施します。

 石板をテーブルの上に固定し、チョークで図形などを書きながらしゃべる。それを息子や弟子が書き写し、必要なら同僚の教授にチェックをお願いする。こうやってオイラーは視力を失ったあとも論文を書いたり、手紙を書いたりして、弟子の指導を続けることになります。

 周囲のサポートがあったとはいえ、目が見えない状態で数学の難問に取り組むなど、常人にはなかなか想像ができません。

 頭の中にある知識やアイデアを吐き出して口述筆記することなら容易にできます。しかし、オイラーが取り組んでいたのは当時の最先端の数学や天文学などの課題です。それを現代的にいえばコンピュータもノートも一切使わずに頭の中で行うというのは、脳のワーキングメモリーや長期記憶が恐ろしく大きくないとできないでしょう。

 実際オイラーは桁数の多い暗算が得意で、寝つけないときは1から100までの各数字の6乗を計算する「遊び」をしていたといいます(余計眠れなくなりそうですが……)。

 また家族を大事にするオイラーは、複雑な証明に取り組んでいるときでもご飯の時間になればあっさりと作業を止め、ご飯を食べたらすぐに再開していた、つまり思考過程がすべて記憶に残っていたというエピソードも残っています。

 オイラーが亡くなった日、彼はいつも通りに子どもや弟子、孫たちに囲まれながら研究をしていましたが、心臓発作に襲われ、手に持ったチョークで「死ぬね(I die.)」と書き残し、その生涯を終えたそうです。