老いも病も受け入れよう

老いも病も受け入れよう (新潮文庫)

 きのうの本は養老孟司さんでしたが、こちらは瀬戸内寂聴さんの老い方死に方です。

 

P9

 今夜死んでも不思議ではない自分の、老いと死を見つめ、どのように最期を迎えようかと考え続けています。

 結論として、今のところ、「老いも病も死も、受け入れよう」という考えにたどりつきました。闘うことも、逃れる方法もあるかもしれません。でも、私のいま行きついた気持ちは、それが持って生まれた人間の運命なら、すべてをすんなり受け入れようというものです。そしてそれは思いの外に、心の休まる結果を招いています。

 

P16

 八十歳の時に白内障の手術をして、イヤというほど見えるようになりました。その手術は痛くもかゆくもなく、三十分くらいで済みました。東京の病院だったので、ホテル代わりに入院して、部屋に帰り何気なく鏡を見たとたん、私は悲鳴をあげました。

「見て、見て!鏡の中に八十の老婆がいる!」

 廊下から飛んできた秘書は平然と、

「だって、八十の老婆ですもの」

 あれはショックでしたね。見えていなかったものが、見えすぎでした。

 そして八十五歳で加齢性黄斑変性症になって、手術したのに右目はまったく見えなくなってしまいました。

 もっと早く医者にかかればよかったらしいのですが、多忙でなかなか行くことがかなわず、診てもらった時には既に手遅れでした。

 でも心配することはありません。私は仕事柄、今もたくさんの本を朝から晩まで、左目だけで読みます。一年後に目の検査に行ったら、左目の視力は一・二だったのが、一・五に上がっていたんです。ホント!

 今も新聞は眼鏡かけないで読めるんです。片方だけ使っているから、鍛えられて視力がよくなったんでしょうか、医者もびっくりしていました。でもこの目が見えなくなったら、もう仕事はできないし、本が読めなくなったら、生きていられない。いつまでも読書をしたいです。

 

P74

 どの入院の時も、私はすべての見舞いを固く断っていました。日に日にやつれていく自分の姿を、どんな仲良しの同性にも、ましてどのような老若の異性にも見られたくなかったのでした。

 ただじーっとベッドの上に横たわって、痛みにうめきながら数週間を過ごしました。あまりに痛くて、声を上げて泣くこともありました。

 黒柳徹子さんがお見舞いの優しいお電話を下さった時には、つい、

「腰が痛いの。ブロック注射を何度しても効かないし、ずーっと痛くてつらいのよ。もう神も仏もないって感じ」

 と言ってしまったんです。徹子さんが驚いて、

「そんなこと仰っていいんですか?」

 と言ったけど、

「もういいのよ」なんてやけっぱちな罰当たりなことを言いました。

 長命は望んでいないけれど、願わくは、ペンを握りしめたまま、人知れずこっそりと死にたいもの。仏さまはそれくらいは適えて下さるだろうと思っていました。まさか、こんなつらい目に遭わされるとは。

 万一、病が治って、法話を再開できる時は、「みなさん、神も仏もありませんよ!」と言ってやろうと、本気で思っていました。

 とにかく何もできなくて、「痛い、痛い」ばかり言って、新聞と本は少しは読めるものの、書くことは一切できない。・・・

 ・・・

 何週間もじーっと動かないままで、考えてもどうしようもない同じことを繰り返し考えて、だんだん気持ちが沈み込み、おかしくなりそうでした。

 そのうち、「あ、これは鬱になっている」と気がつきました。

 ・・・

「もう死んだ方がまし」などと毎日毎日、考えるようになって、自分が鬱状態になっているとわかってから、ここで負けたらいけない、と思ったのです。

 鬱に負けたら、病気がもっと重くなるとわかっていました。

 ・・・

 気持ちを紛らすために、無理矢理、本を読むことに集中しました。自分が書いた昔の新聞小説などを読んだら、内容をすっかり忘れていて、次はどうなるのかなど、まるで人の小説のようにわくわくできるし、他の作家の書いた良い小説を読んだら「ああ、負けちゃいられない」と闘争心がわき上がってきました。

 ・・・

 治ったら何がしたいか考えたら、やはり私は小説が書きたいとわかりました。・・・動けないときはとにかく書きたかった。そればっかり一生懸命考えていました。この世で私がしたいことは、小説を書くことだけだったのです。

 

 腰の痛みはどうやっても消えないのですが、リハビリで歩く練習をして、入院生活で落ちてしまった筋力をつけていけば、次第に痛みも治まっていくだろうということで、退院して自宅療養という形にすることになりました。

 ところが、退院前に全身を調べているうちに、ガンがみつかったんです。

 ガンが胆のうの中にあるとわかった時は、「へぇ」って思っただけでした。驚いたとか、困ったとかではなく、平然と受け止めていました。

 医者から、「どうしますか?」と聞かれました。

 摘出手術をするかどうか、ということとわかったので、即座に、「すぐに取ってください」と答えました。

 普通は九十二歳にもなる高齢の人は、身体に負担が大きいのでガンの手術はしないものらしいです。

 でも私は、「人生の最後にまた一つ、変わったことができる」と思ったんです。

 初めてのことになりますから、ちょっとわくわくする気持ちもありました。

 

P144

 病気で動けなくなった時にしみじみわかったのは、思いやりの大切さということでした。思いやりというのは、結局、想像力のことなんです。想像力で相手のつらさを理解して、助けようとすることが大切なんですね。

 ・・・

 私は八十八歳まではどこも痛くなかったんです。それでも法話にいらっしゃる方には腰や足が痛い人がたくさんいるから、「たいへんですね、おつらいでしょうね。お大事になさってください」と話していたんです。

 でも、病気で動けなくなって初めて、私は他人の痛みを本当にはわかっていなかった、私が想像していた痛みの何倍もつらかったのかと、気づきました。

 自分が経験していない痛みや苦しみは、ほんとうにはわからないと、自分の想像力なんて知れているなとつくづく思い知らされました。