老い方死に方

老い方、死に方 (PHP新書)

 養老孟司さんと、南直哉さん、小林武彦さん、藻谷浩介さん、阿川佐和子さんの対談本です。

 

P54

―「老いてからの死」について、もう少し踏み込んでもらいたいのですが、死を受容する方法を、以前のご著書でも書かれていますね。

南 九十歳を超えること、ですね。それは、実際に見てきて、そう思うからです。九十五歳までいけばもう確実ですね。もう考えるのが面倒くさくなるのか、あんまりくよくよしなくなるんじゃないのかと。僕の知る限り、檀家とか知り合いの住職で九十歳を超えて、えらく苦労して死んだという人は、見たことがない。

 ・・・

 最近では、九十四歳の老僧が、朝、読経したまま逝ってしまったということがありました。「すごい、坊さんの理想だ」と思いました。読経の際にいつも鳴る木魚が急に止まったから、家族が見にいったら、亡くなっていたそうです。他にも、たとえば檀家で九十六歳だったおばあさんが、一家でご飯を食べてたときに、ふと動かなくなった。茶碗が空になっているのに黙っているので、家族が「おかわりは?」と聞いても、答えない。つっついたら、茶碗が落ちたそうです。

 他にも、寝ているうちに逝ってしまったというような話ばかりです。そして本当に、いい顔をされています。住職をやって三十年近くになりますが、そういう方々を見てきた結果から、言えることなんです。

 

P61

南 ・・・先生の「手入れの思想」はじつに偉大な思想だと思っています。この「手入れ」という発想はどこから得られたのですか。

養老 やはり女房がやることを見ていて、でしょうか。よく「手入れ」をする人なんですよ、庭や家とかを。でも、昔は借家に住んでいましたから、かわいそうだなと思ってね。一生懸命に手入れをしても、借家だと他人の家ですからね、結局は。それで、家を買おうと思ったし、毎日のそういう「手入れ」というのは大きいなとも思ったわけですよ。

南 そうでしたか。

養老 そうです。「手入れ」をしているのを見ていると、結局、「自分」なんだなと思うのです。

南 なるほど。周りの環境との仕切りがなくなってくる、みたいなことですね。

養老 そうです。そうすると、それを大事にしてあげないと、本人を認めていることにならないわけですから。まあ、理屈で言えば、そういうことになるんでしょうね。

南 仏教で「縁起」といいますが、その「縁」というのは、関係性のことで、それを、概念で言ってもダメですね。会話をするとか、何か具体的に、身体的な行為として関わっていくことが、「関係する」ということの、人間にとっての実質的な意味になる。環境と自分との隔たりがなくなるというのは、要するに、具体的な行為できちんとつながっているから言えることで、観念で済む話ではありませんね。

 

P76

小林 養老先生は何かサプリを飲まれていますか?

養老 一切飲んでいません。老化はしょうがない、いまさら薬を飲んでどうする、という考えです。タバコだけですね(笑)。

―タバコが先生にとってのサプリメントですか。

養老 みんな健康に悪いというから、健康にいいに違いないと思っています。

小林 でも、世界最高齢のフランスのジャンヌ・カルマンさんは、百二十二歳でお亡くなりになったのですが、百十七歳のときにタバコをやめたそうですよ。

養老 それまで吸ってた(笑)。私が聞いた話だと、タバコに火をつけてくれる人を気遣ってやめたそうですね。

 

P198

阿川 体調はいま、おおむね良好ですか?

養老 かゆいだけ。肌が乾燥してます。何がどう関係しているのかは、ちょっとわかんないですね。

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 あと、この年になると、いろんな理屈を聞くのがイヤになってきますね。・・・いちいち読むのが面倒くさい。書くのも大変。ああでもない、こうでもないと考えなくてはいけないから。理屈をこねまわすには体力がいります。

阿川 昔はガンガン読めたのに?

養老 できましたね。いまはダメ。理屈自体はわかっても、その裏に何があるかを読むにはすごく体力がいるんです。

 平安時代の昔の人は三十一文字ですませたっていうじゃない。朝廷でみんながちょっと節をつけて五七五七七の和歌を詠んで、自分の意見を伝えたって。呑気でいいよね。それでいて意志の伝達は早い。

 ・・・

阿川 言葉が短いという意味では、加藤シヅエさんがそうでした。加藤タキさんのお母さん。

養老 一度、対談したことがあります。初めてお目にかかったときに、いきなり「あなた、帝大出でしょ。帝大出にはろくなのがいないのよ」と言われたことを覚えています。そこから「うちの亭主は……」と話し始めて、おしゃべりはほとんど俳句になってました。

阿川 やっぱり。若いときからなんですね。私がインタビューしたときはもう九十歳を超えていて、ちょっと足が弱くなられて、耳が遠くなっていらしたけど、おしゃべりは余計な言葉がまったく入らない。短い言葉でビシッ、ビシッとお話しされる。それは見事でした。

 さらにすごいのは、「耳が遠いんだから、聞こえないものは聞こえない」と潔いところ。聞こえなくても決して「え?」と聞き直さないの。しかも延々と話す人には、聞こえた単語だけを拾って、ちゃんと話を広げるんですよ。

 余計な体力を使わないというか。年齢を重ねるにつれて、余計なエネルギーを使わない技術が身につくのかしら。テニスだって、おじいちゃんって走らないんだけど、ちゃんと球に追いついて、確実にポーンと返しますよね。養老さんもそんな感じでしょうか。余計な体力を使わず、でも仕事をちゃんとこなすという。

養老 体力がないからダメなんですよ。人の話も聞きながら、自分で五七五にまとめてるところがありますね。

 

P206

―お母さんの介護はどのくらい続いたんですか?

阿川 二〇二〇年に九十二歳で亡くなるまで、九年半ですね。

―何かコツのようなものを会得されたのですか?

阿川 一つは、母の世界に乗ること。たとえば「あの赤ん坊、どこ行ったの?」と言いだしても、「何言ってるの?うちに赤ん坊なんていないでしょ」とは言わない。「いま、二階で寝てるわよ」とか「さっき、お母さんが連れて帰ったから大丈夫よ」と言う。それで納得するんですよ。

 ・・・

養老 うちと同じじゃないですか。僕、女房に何を言われても、言い返さずに、そうですかって話に乗ってます。

阿川 それはいまに始まったことではなく、昔から?

養老 ずっとそうです。

阿川 じゃあ、もう訓練はできてるんですね。

養老 もし女房が認知症になっても、このままでいいんだなって。いま、阿川さんの話を聞いていて思いました。

阿川 言いたいことを言わずに、ガマンしていると、ストレスがたまりませんか?

養老 たまりませんよ。僕は女房や娘の言うことを否定しないうえに、彼女たちに対して何か主張しようとも思わないから。

阿川 反論もされない。昔からですか?

養老 親にもそんな感じでしたから、けっこう昔からです。

阿川 それが養老さんのサバイバル術か。上には上がいた……。

養老 自分の欲が強いと、なかなかうまくいきませんよ。

阿川 「自分が正しいと思っているのに、どうして理解してもらえないの?」って言い出すと、ぶつかるんですよね。

養老 自分のことなんか、人に理解されなくて当たり前と思ってりゃいい。・・・