立場や年代が違うものの、共感するところが多かったです。
P17
ここ2,3年のことだが、私は毎日朝が来ると、なぜか心がワクワクする。何にワクワクしているのかわからないが、これまではいろんなものに縛られながら生きていたのだと思う。
しかし年齢とともにその呪縛が解け、責任という重い荷物を下ろし、ありあまる時間を自由に使うことができるということを、最近になって実感できるようになった。
まだ夜が明けきらない早朝。
いつものように目が覚めると、ぼやけた網膜のピントを合わせながら、まず台所へと向かう。
冷蔵庫を開け、一杯の冷えた水を飲む。
地球はまだ寝ている。
コーヒーを淹れる準備をしながら、今日は何をしようかと考える。
ひとりっきりの老後は何をしてもいいのだ。
今日も明日もずっと私は自由……。
心が開放されている実感。
この朝のスタートに、私はとてもワクワクする。そのワクワク感が好きだ。
・・・
こうやってワクワクの朝はスタートする。
グリルでパンを焼き始めると、パンの匂いを嗅ぎつけたゆいまるくんがおもむろに台所へと現れる。
すっかり老犬になったお前もまた自由だな。
ゆいまるくんは、歳はとったがまだ子犬の顔をしている。
犬はずるいな。
起き抜けのいつもの腰痛も、お前がまだ生きている証だと教えてくれている。
深呼吸するだけで消えてしまいそうなささやかな毎朝の幸福感。
コーヒーの香りがまとわりついて、今朝はいっそう気分がいい。
しかし……、
夕方になってみると結局どこへも行かず、何もせず、いつものようにたったひとりで一日を終える。
それをただ繰り返すだけの日々。
でも、それでいい。
私には自由な一日であったことが大事なことであり、何もしなかったことも自由の選択の結果なのだ。
P118
先日珍しく、・・・明らかにお仕事絡みとわかるメールが届いた。
メールを開いてみると、たしかにお仕事のオファーだった。
「私でもまだ需要があるのか……」
日本の労働者不足もいよいよ深刻だな。
ただ、今は動画の撮影と編集で手一杯だから、丁寧にお断りの返信を差し上げた。
・・・
ところが!
お仕事のオファーをしてきた担当君は、私がメールで断っているにもかかわらず、今度は電話をかけてきたじゃないか!
・・・
電話の向こうで熱く語る担当君の話を聞きながら私は……、
そんなに?俺いいすか?
と思った。まるで日本に私しか人材がいないかのような言い方だ。
んなわけないじゃないの~。
と、また丁重にお断りしたのだが、担当君は本当に残念そうだった。
・・・
若い頃からサラリーマンとして働いてきた私の経験が、この歳になっても必要とされる。
そうか。
誰でも同じことを一生続ければ、それ相応のプロフェッショナルにきっとなるんだなと思った。
そう考えると、なんだか私がサラリーマン人生を続けてきたのは間違いだったような気がしてきた。
・・・
私がもし別のことを一生かけてやり続けていたなら、私はその別の何かでプロフェッショナルになれていたかもということだ。
別の何か?
・・・
サラリーマン以外のプロになってみたかったな~。どんな好きなことでも、仕事となるとそんなに甘くないのはわかっている。
フリーの仕事も、想像よりは自由はないかもだ。
別の道を歩いた66歳の私はどうなんだろう。今より自由なんだろうか?
今の自由は、サラリーマンを続けてきたから得られたもの?
そうだな。
どの道を歩いたところで、結局たどり着くところはそこだな。
今を自由に生きられるかどうか。
人目につくような派手な仕事では、もしかすると自由などないかもしれない。
きれいな花壇に並んで咲く花よりも、道端の雑草のほうが自由に生きているように見えるもんな。
この原稿を書いている今の時間は午前7時11分。
さあ!酒でも飲むか!
人生うぇ~い!
P126
『最高の人生の見つけ方』という映画のタイトル通り、死期が近いふたりが「死ぬまでにやりたいことリスト」通りに、旅に出たり、ライブに行ったり、美味しいものを食べたりというストーリーである。
・・・
・・・最高の人生とはスカイダイビングをしたり、ももクロのライブに行ったり、インスタ映えする巨大パフェを食べたり、エジプトでピラミッドを見たりすることなんだろうか?
死ぬ前にやりたいこととは、みんなそうなんだろうか……。
やれば楽しいことなのだろうが、それをやったから人生に悔いなしとは感じないと、私は思う。
私が年老いて悔いなく死ねるために必要なこととは、今日のささやかな一日を大切に生きること。
チッ!
じじいが何をきれいごと抜かしてやがると言われそうだが、べつに好感度を上げようとしているわけじゃない。
死ぬ前に何がやりたいかと聞かれたら、私はこう答えると思う。
亡くなった妻との長い結婚生活を振り返ってみて、幸せを実感したのはふたりで行った海外旅行でもなければ、贅沢な外食でもない。
毎日のささやかな日常だったのだ。
妻の手料理で晩酌をする。
今日一日の出来事をふたりで話す。
ふたりで行ったワンコたちの散歩。
休日に出かけた公園で飲んだビール。
特別なダグなどついていない、ありきたりの日常。
でも、それが宝物だったんだと、妻が亡くなってからようやく気づかされた。
だから……。
私が死ぬ前にやりたいこととは、
「いつもと同じように料理を作り、観葉植物に水をやり、そしてお風呂に入ったらいつものビアバーに行ってビールを飲む。ゆいまるくんにご飯をあげたら、ベッドでウイスキーを飲みながら映画を観る。そしていつものようにふたりで寝る」。
人生の最後はそうやって終わりたい。
ところで4,5日ほどブログをお休みします。
いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)