はたらかないで、たらふく食べたい

はたらかないで、たらふく食べたい 増補版 ――「生の負債」からの解放宣言 (ちくま文庫)

 こういうの、なんていうんだろう?と、あまり読んだことのない文章だったなと思っていたら、帯に「爆笑解放社会エッセイ」とあって、なるほどと・・・

 

P111

 さいきん、山形の東北芸術工科大学というところではたらいている。毎週金曜、非常勤講師の仕事である。とてもいい大学で、埼玉の実家から新幹線通勤をさせてくれるし、そればかりでなく、必要とあれば大学ちかくの教員宿舎にとまらせてくれる。しかも、ただの宿舎ではない。温泉つきのホテルみたいな宿舎である。わたしは大の温泉好きということもあって、ほんとうは朝五時に家をでれば授業にまにあうのだが、せっかくなので、前日の夜に山形にはいらせてもらっている。温泉につかり、テレビをみながらキンキンにひえたビールを飲む。たまらない。

 大学の雰囲気もすごくいい。学生はむちゃくちゃまじめで、こっちがびっくりするくらい授業をきいてくれる。芸術系の大学というのもあるのかもしれない。みんなが小説家や漫画家、評論家になりたいということもあって、就活よりも文章をかくことや、そのための知識を身につけることに必死である。大学側もそれをサポートしようとしていて、教員は死ぬ気で文章をかけとはっぱをかけているし、わたしもいちどだけ就活講座をうけもったことがあるのだが、そのときなどは大学側から、こんなふうにいってほしいといわれた。定職につけなくたっていい、なんとかやっていけるのだから好きなことをやってしまえと。わたしのように中年になっても、ぶらぶらしているような人間がそういうことをいうと、説得力があるというのだ。わたしは調子にのってしまい、ほんとうにそういうはなしをしたのだが、学生たちはそりゃそうだよねといって、みんなウンウンうなずきながらきいていた。すごい、ぜんぜん日本じゃないみたいだ。

 

P175

 ・・・さきほど、荘子の生滅変化について紹介したが、かれはその境地にたつということを三つにわけて説明している。

 

(一)いっさいは無である。なんにもない。

(二)物は存在するが、境界線や区別はない。無限である。

(三)物の区別は存在するが、そこに価値判断をはさまない。

 

 これはぜんぜんべつのことをいっているのではなくて、おなじものが三つのみえかたをするということだ。ふだん、人間は物ごとを区別して、そこに善悪優劣の価値判断をはさみこんでいる。そうやって、不変の秩序をつくりだし、ほんらい渾沌とした世界を、有限で管理可能なものにしたてあげているのである。もちろん、これはいま権力をにぎっている人たちのための世界だ。

 

P179

 いまから五、六年まえくらいだったろうか。三年くらいつづけて、山谷の越年闘争というのに参加したことがある。参加したといっても、ほんとうに一日だけ、お手伝いにいっただけなのだが、それでもいろいろとかんじることがあった。・・・

 ・・・

 わたしがはじめていったのは、たぶん二〇〇八年の正月とかだったとおもう。友人といっしょに、昼すぎくらいにいってみた。すると、活動家の人たちと山谷のおじさんたちが、なにやら熱心に討論をしていた。すごい活気がある。おお、なんだろう。耳をたててきいてみると、「カレー」とか、「トン汁」とかきこえてくる。・・・けっきょく、その日はモツ煮込み汁にきまった。・・・これはあとで活動家のひとにきいたはなしなのだが、こうやってみんなでなにを食べるのかをきめて、みんなでつくっていく過程がだいじなのだという。ふだん社会から邪険にあつかわれ、とかく無気力になりがちな人たちが、自分たちのことを自分たちできめる、そういう訓練をすることに意味があるのだと。・・・

 わたしはなにをしたらいいのだろう。きょろきょろしていると、活動家のひとがこっちにこいとさそってくれた。・・・これから炊き出し用のまきをつくるのだという。よし、がんばろう。・・・活動家のひとは、えいっといって、バシバシと木材をふみはじめた。木材が粉砕されて、いいぐあいにわれていく。すげえ。わたしもやってみたが、ぜんぜんわれない。ちくしょう。手でもって、おもいきり地面にたたきつけてみたが、それでもぜんぜんダメだ。活動家のひとはケラケラとわらいながら、「兄ちゃんはペンしかもったことないんだろう」といっていた。おはずかしながら、じじつそうだ。けっきょく、一本もわれずにスミマセンといって退散した。・・・

 しばらくすると、買い出し班がかえってきて、みんなで調理することになった。・・・よし、これならば。わたしはさきほどの汚名返上といわんばかりにはりきっていた。・・・さっそく、包丁をニンジンにあててみたが、ぜんぜん切れない。あれ、ニンジンってこんなにかたかったっけ?あきらかにカチンコチンに凍っている。・・・うりゃあといって、包丁をおすとストンっといい音がした。・・・よくみてみると、オレンジ色のニンジンが真っ赤にそまっている。わたしはそこで自分の親指が切れていて、プシューっと血がふきでていることに気づいた。「うぎゃー」。さけび声をあげると、活動家のおねえさんがやってきて介抱された。水道水で血をながし、二、三枚、バシバシとバンドエイドをはってくれた。

 そのあとはもうダメだ。まだ手伝いますよといってみたが、「みんなが食中毒になっちゃうからやめてください」ととめられた。そりゃそうだ。・・・しょんぼりしながら、ぼーっとしていると、みるみるうちに食事ができあがっていく。・・・わたしはちょっと遠慮していたのだが、ひとのよさそうなおじさんがやってきて、「兄ちゃん、はやくならびなよ」といってくれた。わたしが「いやいや、指をきっちゃって、なにもできなかったので」というと、おじさんは「ここはそういうやつが食っていいとこなんだぜ、ほら」といってどんぶりをくれた。ならんでいると、そのどんぶりに大もりの白米がもられ、そのうえにサラダがもられて、さいごにモツ煮込み汁がぶっかけられた。汁がこぼれるほどいれてくれた。うれしい、あつい、指がいたい。

 みんなで、いただきますといって食べはじめた。うまい、うますぎる。人生で一、二位をあらそうほどのうまさだ。サラダにかかったマヨネーズと、モツ煮込み汁がまざりあって絶妙のあじになっている。そして、ものすごくさむい日だったというのもあるだろう。からだがいっきにあたたまっていくのをかんじた。エネルギーがしみわたっていく。よっぽど、しあわせな顔をしていたのだろう。さきほど声をかけてくれたおじさんがやってきて、「どうだい、あじは?」ときいてきた。「最高です」とこたえると、むこうも満面の笑みだ。そのあと、メシをかっくらいながら、おじさんとすこしはなした。おじさんは、「あのな、オレ、あのスカイツリーってのをつくってんだよ、すげえだろう」といっていた。ほかにも全国各地を転々として、いろいろな建物をつくっているらしい。まじですごい。わたしが「いやあ、ぼくなんてきょうみたいになんの役にもたたなくて」というと、「エッヘッヘ、いいんだよ、きてくれるだけで」と、ただそういって笑っていた。いいひとだ、ほんとうに。無用者の晩餐会。はたらかないで、たらふく食べたい。わたしはこのときから、いつもそうおもうようになっている。