バザールカフェ

バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる

 こんな試みが25年も続いているとは、すばらしいな~と思いました。

 

P2

 この本は『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』と名付けられた。バザールカフェは多様な人たちがありのままでいられる場であり、個人として尊重され、互いの属性を超えて人と人がつながる場という意味を込めている。社会には様々な壁があるけれど、バザールカフェではその壁を超えて自分とは異なった背景や立場の人と出会える。人には様々な違いがあるけれど、共に生きていけることをバザールカフェでは実感する。そして人は誰もが生きていくために時には支えが必要ということも事実で、そんな支えたり支えられたりする場がバザールカフェなのではないか。バザールカフェの本質をシンプルな表現で表すタイトルに辿り着いた。

 

P42

「よくわからない」。バザールカフェでボランティアを始めたばかりの頃の私の印象。・・・バザールでボランティアを始めた時、私は「支援者」になるつもりでいた。・・・そして、私が支援する対象となる人々―すなわち、ステレオタイプ通りのLGBTQやHIV/エイズ、依存症の人々や外国人―がいるとも思い込んでいた。・・・

 けれども、実際にバザールのキッチンで紹介された人たちは、少なくとも私の目には「ふつう」に見える人たちだった。よく喋る外国人のおばちゃん、入墨のおじさん、おっとりしたお兄さん、そして少しぶっきらぼうな店長。確かにそれぞれ個性はあるが、街に行けばすれ違うようなそれほどめずらしくはない人たちである。自己紹介をする。「ションプーです」「ヨウちゃんです」「こんです」。しかし、この人たちが一体何者で、なぜここにいるのかということは説明されない。誰が「支援」していて誰が「支援」されているのかはわからなかった。

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 その人の過去や持病について知らなくても、一緒に仕事をしていると人柄は次第にわかってくる。たとえば、見た目が怖い入墨のおじさんが物腰はやわらかで親切なことや、おっとりしたお兄さんが仕事を教えてくれて頼もしいこと。また、よく喋るおばちゃんはタイから来たということも何気ない会話の中で本人が教えてくれた。その人がどのような課題を抱えているのかを知らずとも、一緒に働くことはできる。まかないも美味しい。居心地もよくなってくる。けれどもやはり「よくわからない」という思いがすっきり晴れることはなかった。

 ところがある時わかりやすい人が来た。その人は「ボブちゃん」と呼ばれていた。ツルッと剃り上げた頭にキャップを後ろ向きにかぶった「おじさん」は、ハイテンションで松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌っていた。テレビでみる「オネエ」のイメージと重なった。「この人はゲイだ」と私は思った。そしてその予想通りボブちゃんはゲイだった。そして私はボブちゃんのことをわかった気になり、ゲイのこともわかった気になったのだった。

 しかし私は何もわかってはいなかった。ボブちゃんのことも、ゲイのことも。ゲイであることはボブちゃんの一部でしかないこと、全てのゲイがハイテンションで聖子ちゃんのモノマネをするわけではないということ、そんな当たり前のことをこの後の様々な出会いの中で私は気づかされることになる。

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 世間には、属性に応じた様々なステレオタイプが存在している。私自身もそれらを手がかりにして誰かを理解しようとしてしまうことがある。しかし、たいていの場合、人間は極めて複雑でわかりにくい存在だということを私はバザールで何度も気づかされてきた。

 

P66

 バザールでの人間関係は表面的な情報を知ること無く築かれていく。私自身もそうだった。つまり、セクシュアリティや国籍や病気などについて予め知らされること無く、「まず人として出会う」。信頼関係が築かれた後でこれらの情報を本人から打ち明けられることもあれば、知らないまま仲を深めていくこともある。ともあれ、この「まず人として出会う」ことによって、乗り越えることのできる偏見や与えられる気づきは多い。さやかは、このようにして人間関係を築いていく中で次のような気づきを得たと言う。

 

 自分とすごい能力に差があるわけでもないし、何にも変わらへん。

 ただ、生きてきた人生がチョット違うだけ。

 

 こうしてさやかはバザールに溶け込んでいった。それだけではない。さやかはバザールでの実習を通して、自分自身への眼差しをも変化させたという。

 

 世間一般の「幸せ」「優秀」みたいな型がある。これに当てはまらなアカン。そんな固定観念が元々あったんです。けど、ここに来てそれが無くなった。ホンマに自分のやりたいことをやればいい。まわりの考える「幸せ」じゃなく、本人がどう思うかがホンマに一番良いこと。固定観念が取れてから急に生きやすくなった。

 

P72

 バザール村は京都市上京区を中心に北区と中京区の一部にまたがって存在している。もちろん実在の行政村ではないし、コミューンのような閉鎖的な共同体でもない。私たちが冗談で呼んでいるだけだ。

 しかし実際、バザールの人たちは近いところに集まって住みがちである。生活を立て直すため心機一転バザールの近くに引っ越してきた人、病院や刑務所などから出てくる人の部屋をバザールの関係者が世話した結果「たまたま」住み始めた人。生活費を管理してもらうためにバザールの近くに住む人、バザールの近くの大学に通うためにひとり暮らしをしている学生。意図したわけではないが、気づいたときにはこうなっていた。 

 近くに住む人が増えてくると、本当に「村」らしくなってくる。「〇〇さんが引っ越してくるから手伝って」「野菜をもらったけれど食べきれないからちょっとあげる」「□□さんのアパート、あれじゃ生活立て直せないよ、大掃除に行こう!」「しばらく帰省するから、金魚をよろしく」などなど、かつての近所付き合いか、いにしえの「村」のような関係が21世紀の京都において意図しないうちにでき上がっていたわけである。

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 他方で「村」には、よそ者や変わり者を排除するような排他的なイメージもつきまとう。そうであるならば、「村」にも無かったものがバザールにはあるといえる。・・・警察に捕まった経験もあるヨシタカは言う「現金や貴重品も転がっている家にこんな俺をあげて子どもたちの世話をさせるなんて、千恵ちゃんはどうかしてる」。

 抱えている病気や経歴に応じて役割が決められがちなこの社会において、大抵の場合「支援される側」の役割りを与えられてきた人たちが、ここでは支える側に回ることもある。この点で、「バザール村」は都市化・核家族化した現代の日本社会とも、いわゆる「村」社会のどちらとも異なるのである。

 

P87

 ・・・バザールカフェで私は出会った。そして自分自身が変えられた。その変化はまず、ステレオタイプが崩れていくことから始まった。ここにいる人たちが「オネエ」でも「ヤク中・アル中」でも「危ない人」でもないことに気づいたのだ。そして、何人かとは友人のような関係になった。そして私自身は変えられていった。

 何が変えられたのか。一言で表現するなら、人の見方が変えられたのである。今、私は人間とは全面的に善であることも、全面的に悪であることも決してないと考えている。ひとりの人間とは、様々な経験や性格やスキルの集合体なのだ。そしてステレオタイプとは、その一部分をあたかも全体かのように見てしまうことだ。

 ・・・しかし最も重要なのは、自らに対してもこれまでとは違う見方ができるようになったことだ。私はバザールカフェで異なる現実を生きている他者との出会いを通して自分自身と出会い直したのである。