永六輔 大遺言

永六輔 大遺言 (小学館文庫 さ 15-4)

 永六輔さんとさだまさしさんの対談と、永六輔さんに縁のある方にお孫さんが聞いたお話が収録されています。

 あまりにもいろんな方とつながりがあって、びっくりでした。

 

P49

永 4月10日で思い出したけど、倉本聰は何月何日生まれだか知っている?

さだ また飛びましたね(笑)。で、いつなんですか?

永 4月11日。

さだ へえ。

永 生まれた場所が順天堂医院。僕が生まれた部屋で生まれたの。

さだ 同じ部屋で?

永 産室が一緒だった。

さだ あれ?いくつ年が違うんですか?

永 同い年だよ。

さだ じゃあ、まるっきり同じところで、1日違いで生まれたの?

永 そう。それを知った時に倉本と、「えっ、気持ち悪い」と(笑)。

さだ 嫌ですね、それ。同じ部屋で、1日違いで永六輔さんと倉本聰さんが生まれたんですか。ちょっとそれは気持ち悪いなぁ……。気持ち悪いけど面白い(笑)。

永 そういう気持ち悪い話はあるんだよ、いっぱい。

さだ ちょっとそれ、今度ネタにしますよ、僕(笑)。

永 どうぞ(笑)。

さだ 以前伺った、永さんと渥美清さんが幼馴染み、という話以来の衝撃だな。

永 渥美清さんとは幼馴染みって言うより、浮浪児仲間だったの。

さだ 永さんが浮浪児?だって浅草のお寺のお坊ちゃんでしょ?

永 僕がっていうか、僕の仲間が全部、浮浪児。焼け跡から鉄クズを拾い集めて、上野駅の外れに持っていくと、怖いあんちゃんが全部お金に換えてくれる。

 ・・・

 それを取りまとめていた仕切り屋が、田所康雄という。

さだ 名前出しちゃっていいんですか?

永 うん、いいの。でも鉄クズっていっても、人のもんだから。

さだ ああ、そうか。盗みになる。犯罪だ。

永 で、ある時、お巡りさんが来て、仲間が一網打尽に捕まった。

さだ 大変だ。

永 そしたらその時、捕まえにきたお巡りさんが、田所に向かってこう言ったの。「お前の顔は悪いことをするのには似合わない。一度見たら忘れない。一度見たら忘れない顔は役者になったほうがいい」。で、「浅草に紹介してやるから」と言って、田所は浅草のフランス座へ連れていかれた。当時のフランス座井上ひさしが舞台監督をやっていて。それで田所が、「渥美清」になった。

さだ えーっ、そういうことだったんですか。なるほど、特徴的な顔だから泥棒には向いていないと。だから役者になれって、そのお巡りさんは粋ですね。

永 粋です。あのお巡りさんは本当に粋だった。

 

P58

永 ・・・民放のラジオ番組を制作する会社を作ることになって、それが「冗談工房」。民間放送が始まった頃で、番組を制作できるのはNHKしかなかった。だから民放用に、冗談工房を作ったわけ。僕、学生の時分でここの社長になったの。

さだ いきなり社長ですか?すごいじゃないですか。

 ・・・

永 その冗談工房の一員だったのが、同じ早稲田の野坂昭如

さだ 野坂さんも放送作家ですか?

永 野坂は経理担当の専務。

さだ えっ?野坂さんが経理

永 似合わないでしょ?結局、野坂の使い込みがひどくて会社が傾いた(笑)。・・・で、野坂が会社を追い出され、傾いた会社にやってきたのが、早稲田の露文にいた松延君。「露文に才覚のいいのがいるから」って紹介されて。これがのちの五木寛之。結局、冗談工房は潰れちゃったけど。

さだ 五木寛之さんまで登場するんですか?早稲田は人材の宝庫なんですね。

永 話が逸れるかもしれないけど、その頃の早稲田大学は本当に面白いヤツが集まってたの。まず俳句研究会に大橋巨泉がいるでしょう。短歌の研究会には寺山修司。そして小沢昭一を中心とした落語研究会。あなたは知らないかもしれないけれど、落研を日本で最初に作ったのは、小沢昭一だから。・・・そして大隈講堂でしばしばピアノコンサートをやっていたのが中村八大。

さだ 何かドラマがありますね。

 

P208

 祖父がいつもハガキや原稿を書いていた書斎があります。

 ・・・最初に目に入ったのは、机の上に貼られた紙。そこにはこう書かれていました。

『難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く 井上ひさし

 祖父の友人で作家の、井上ひさしさんの言葉です。・・・今回の取材でわかったことがあります。タモリさんに「永六輔の最も核となるイメージは?」という質問をしたところ、「博識」という答えが返ってきました。

「どんな質問をしても答えが返ってきた。それも、難しく答えるんじゃなくて、うまく答えるんだよね」

 難しくではなく、うまく答える。その精神を裏付ける祖父自身の言葉を、著書に見つけました。

〝専門家じゃないからこそ、言えることがある。細かい違いは気にせず、生きるうえでどう役に立つのか、大胆に。知識でしゃべらない、知恵でしゃべる。少しくらいの誤解は恐がらない〟

 僕は今、大学で仏教の授業をとっています。教授は「色即是空」という仏教用語についてこう説明します。

「色すなわちこれ空ということ。色はサンスクリット語で目に見えるもの、形あるものという意味で、空は実体がないもの、虚無ということ。だから、姿かたちは仮のもので、本質は……」

 僕にはなかなか頭に入ってきません。一方、祖父はラジオ番組でこう話しています。

〝色即是空はつまり、ドーナツの穴。ないけどある。あるけどない〟

 僕にはこちらのほうが頭に入ってきやすく、「生きるうえでどう役に立つのか」を語る分には十分な気がしました。

〝何を説明したいのかよりも、何を伝えたいのかを考えないといけない〟

 祖父が遺したこの言葉は、コミュニケーションの本質をついています。・・・

 ・・・重心を自分から相手に移し、「伝える」ことを意識すると、自ずと簡潔で易しい言葉を使えるのではないでしょうか。

 

P258

 永家の中には、「タカオくん時間」という言葉があります。

 たとえば19時にレストランで待ち合わせのときは、祖父は必ず30分前に着いて待っています。だから僕たちも「タカオくん時間で18時半だから」と言って早めに行きます。そして食事が始まるやいなや、祖父は早くも次のことをこう切り出します。

「来るときに新しいお店を見つけたから帰りに寄ろう」

 せっかちな人だとばかり思っていましたが、どうやらそうじゃないらしいのです。約束の1時間前には家を出て、周辺を散歩し、30分前に店に入って散歩で得た「気づき」をメモ帳にまとめる。祖父はそれを習慣としていたのです。

 自身が愛した「歩くこと」については、こんな言葉を遺しています。

〝歩くことも旅です。いろんな目を持って歩くこと。たとえば新緑の季節であれば、どうしても新緑ばかりに目がいってしまって、路傍の草花を見落としてしまいます。そこで、「今日は地面の草花を見る日」と意識的にテーマを決めて歩く。同じ散歩道でも、何通りもの楽しみ方があるんです〟