小林カツ代伝

小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る (文春文庫)

 へぇーというエピソードがたくさんあって、面白かったです。

 

P82

 エッセイストとして執筆も大好きだったカツ代だが、その真骨頂は、やはりテレビだろう。カツ代が講演会でよく話していたのが、デビュー当時、テレビのプロデューサーに指摘されたという、独特の言い回しだ。

「フライパンは煙が出るまでカンカンに焼いて」

「油はビシャーッと、お醤油はチョロリ、ソースはチャーッ」

「野菜炒めは、ザッ、ザッ、ザッと手際よく」

 ・・・

 カツ代ならではの調理の表現は、そこに「料理は作るのが楽しい」というメッセージが込められている。・・・

 こうしたユーモアは、カツ代のレシピにつけられた名前にも込められている。

「ケンタッローフライドチキン」「空飛ぶペペラーメン」「なまけものシチュー」「わが道をゆくワンタン」「ハヤシさん」……。

 名前を見ただけでは、いったい何なのか分からないが、思わず「クスッ」と笑ってしまいたくなるようなレシピばかりだ。

 例えば「わが道をゆくワンタン」は、まさにカツ代の出世作となった一品だ。このレシピの材料は、いわゆる普通のワンタンといっこうに変わらない。・・・ワンタンを茹でる段になって、先に鍋に沸かした鶏ガラスープの中に、種だけをスプーンですくってポチャリ、ポチャリと入れてゆく。続けて、皮をヒラリ、ヒラリと入れてゆく。

 そう、このレシピは種と具を別々に入れるという、ただそれだけのレシピ。・・・

 ・・・実際に作ってみると、これはこれで「別物の味」がするのだ。それに、急いでいる時に、ワンタンを包むのは意外と時間がかかる。カツ代が言うように、「どうせ、お腹の中でいっしょになるんだから」と思ってやってみると、これは実に合理的で、何よりも楽チンなのである。

 ただし、これを「ワンタン」と言って出されると正直、がっかりしてしまう。けれども「わが道をゆくワンタン」と言って出されると、なるほどなぁと納得するだけでなく、食べる側も思わずクスッと笑ってしまうのだ。

 そして、ここにもカツ代の料理の哲学がみてとれる。

「手を抜いたから早いのではなく、早く作ったからおいしい、じゃないとおかしい」

 ・・・

 そうしたユーモアを誰よりも認めていた意外な人物がいる。料理評論家として知られる山本益博だ。・・・

 ・・・

 ある時、山本はカツ代の講演会に誘われた。・・・仕事柄、落語に限らず、多くの舞台芸術を観てきた山本だったが、カツ代の抱腹絶倒の講演に圧倒されたという。・・・話芸には、ある方程式があると山本は言う。

 はじめしんみり、中おかしく、終わり尊く―。

 カツ代の講演は、そのすべてにおいて完璧だそうだ。とくに、自身の体験に裏付けられたユーモアは、聞く者の心をとらえ、解放させるという。

「カツ代さんは、塩の塩梅が料理の味を左右すると振っておいて、『怖がることはない、お葬式のお焼香のように、ひとつまみのお塩をパラパラ振れば、絶対に失敗することはない』と。この『お焼香のように』という表現は、料理を心から愛している者でないと使えない。一度聞いたら、絶対に忘れることはありません。自宅で塩を振る度に、カツ代さんの姿が浮かぶんです」

 

P205

 今年の夏、私、アメリカに行ってくるから―。

 そうカツ代が切り出したのは、長女まりこが大学受験を控えた高校三年生、息子の健太郎が受験予備軍である高校二年生の時だった。・・・

 ・・・

 アダルト・エデュケーション。日本では「生涯教育」とも訳されるが、平たく言えば「大人のための教育」である。米国各地には、こうした教育機関がいくつもあった。・・・

 ・・・

「私、英語で料理を教えることができるようになりたい」

 カツ代が英語を学ぼうと思った動機はこの一言に尽きる。・・・

 ・・・

 アメリカに行く。一人で生活をする。そんなカツ代のワガママであり、挑戦を、スタッフたちの誰も引き留めることはしなかった。

「この時、先生は『行こうかな』ではなく『行く』と断言した。・・・そうなると、誰にも止めることはできません」

 弟子の本田はそう回想する。・・・

 ・・・

 ・・・長女のまりこはこう回想する。

「別に母の行動には驚きもしませんでした。米国に行くんだ、ふーんって感じです。もう行くと決めたら、よほどのことがない限り、子どもの置かれた状況を理由に自分の生き方を変える人ではありませんから」

 こうしてカツ代は、人生で初めて二カ月もの間、米国で暮らすという体験をする。・・・アダルト・エデュケーションの学校では、英語はもちろん、米国の家庭料理も学ぶことができた。その二カ月の珍道中については『さて、コーヒーにしませんか?キッチンをとおして見えること』に詳しい。無論、カツ代の行く手には、言語以外にもさまざまな「壁」が立ちはだかるのだが、それを好奇心と度胸で乗り越えてゆく。

 カツ代は、この旅を通して、人生の視座が一気に広がる経験をした。

 そのひとつが「女性の自立」である。・・・

 現在でこそ「イクメン」などと働きながら子育てをする父親が、良き日本の父親像だと言われるようになったが、当時は違う。・・・

 けれども、米国では子どもがいようといまいと、女性が働くことは当たり前だった。ある時、カツ代はホストファミリーのシャローに、「なぜ、日本の女性は結婚したら仕事を辞めるのか」と質問され、思わず、こう答えた。

「夫の世話をしなくちゃならないから」

 この「世話」というニュアンスを正確に伝えるのは、カツ代の英語力では難しかっただろうが、その答えで、そのニュアンスが正確に伝わっていることが分かる。シャローは不思議そうな顔でこう聞き返したという。

「あなたの恋人はどこにハンディキャップを持っているの?」

 カツ代はこの質問を受けた途端、ピカッと瞳孔が開いたと語っている。そして、これは男の問題だけではなく、日本の女にも問題があると考えた。そう確信した背景には、米国で暮らす日本人家庭を訪ねた時に、次々とこんな言葉をかけられたこともあった。

「よくご主人が許してくださいましたね」

「留守中、どなたかお世話する人がおられるのですか?」

 カツ代はこうした質問攻めにうんざりしたが、同時に、私が逆の立場なら同じような質問をしたかもしれないと語っている。・・・