頼りあって

ぼけますから、よろしくお願いします。 おかえりお母さん

 きのうのつづきです。

 

P51

「私はおかしゅうなった。どうしよう」

 認知症の人からこう訴えられたとき、家族はどう対応すればいいのでしょうか。

 最初のうち、私は母に感情移入して、一緒に泣いていました。大好きな母が苦しむ姿は見るに堪えず、分かち合うことで少しでも楽になってほしい。そう願ってのことでした。

 ただ、そうなると私自身が思い詰め、不安定になってしまいます。今思い返すと当時の私はかなりの鬱状態でした。受け止める側に気持ちの余裕がないと、認知症の人はますます混乱し、追い詰められてゆくのです。

 案の定、母の言動は次第にエスカレートしていきました。「私が邪魔なんね?」と突っかかる。「あんたらに迷惑かけるけん出て行く」と制止を振り切って外に出ようとする。そしてついには、

「死にたいけん、包丁持ってきてくれ!」

 暴言を吐く母は、目が三角になって手がつけられず、途方に暮れました。どうしても「あのやさしかった母が……」と思ってしまうので、余計に涙が出てきます。悪循環でした。

 しかしそんなときも父は泰然としていました。もともと安気な性分ではあります。安気とは広島弁で「お気楽」というような意味。でも身もふたもない言い方をすれば、父は耳が遠くてよく聞こえなかったのです。母が何を叫ぼうと、

「何じゃ?わしゃ聞こえんわい」

 とすっとんきょうな返しが来るのですから。そのうち母も力が抜けて、

「もうええわ」

 私も思わず吹き出し、その場が和みました。

 そして気づいたのです。ああ、こうやって笑いが生まれたら、母も安心するんだな、と。母は自分の居場所がないと感じているのですから、「お母さんがおっても、お父さんも私もこんなに楽しいんよ」と態度で示せばいいのです。そうすれば母も「ああ、私はここにおってもええんじゃね」と安心します。

 ・・・

 認知症になると、家の中で今まで果たしてきた役割ができなくなります。母は家事すべてを仕切るスーパー主婦でしたから、どう引導を渡すかは大問題でした。・・・私が下手に手を出すと、すぐに気配を察して飛んできて「そうやるんじゃない」とダメ出しが入りました。

 ・・・

 ・・・最終手段は洗濯機の前や台所の入り口に立ちはだかっての通せんぼ。

「お母さんのやり方があるんじゃけん。あんたは余計なことせんの!」

 体当たりで突き飛ばされたこともありました。

 女同士だからこそのライバル心だったと思います。その点、父は驚くほどすんなり、洗濯機も台所も使わせてもらっていました。

 見ていると、父の介入にはコツがありました。

「おっ母、こりゃどうすりゃええんかの」

 と、いちいち教えを請うていたのです。そして母のやり方をメモに取りながら覚え、その通りに実践する。そうやって母から「免許皆伝」を勝ち取り、助手として重宝されるようになっていきました。

 母の言い分は、

「まあ、お父さんが私の言うた通りにやってくれるんなら、洗濯は任してもええわ」

 私も思わず苦笑い。

 

P74

 地域包括支援センターの高橋さんは、相談に行った翌日にはもう両親を訪ねて来てくださいました。

 父は「どうぞ、どうぞ」と迎えながらも、内心は何か提案されても断る気満々。なんせずっと、

「人の世話にはなりとうない。わしが元気なうちは、おっ母の面倒はわしが見る。それが男の美学じゃ」

 と言い切ってきた人ですから。

 しかし高橋さんは百戦錬磨の強者でした。今まで何人もの頑固なお年寄りを、粘って口説いて介護サービスにつなげてきた人です。・・・

 ・・・

 父は高橋さんが持参した『わたしたちの介護保険』という冊子を、

「読んでみますわい」

 と受け取り、真剣に読み始めたのです。

 ・・・

「誰の世話にもならん、一人で生きて一人で死んでいく、思いよったが、年とったら迷惑を掛けるようになるんじゃのう。こりゃもう、しょうがないわい」

 ・・・

 つい最近、父がつぶやいた名言があります。

「年寄りにとって『社会参加』いうのは社会に甘えることなんじゃのう。かわいい年寄りになって、何かしてもろうたら『ありがとう』言うんが、わしらの社会参加じゃわい」

 へえ、あの頑固じいさんがここまで意識を変えたとは……。できることは自分でやるけど、できなくなったら素直に頼って感謝する。父はどんどん進化を遂げているようです。

 

P104

 ヘルパーさんの派遣をお願いしたばかりの頃は、私にも葛藤がありました。

 一番申し訳なく思ったのは母のおもらし。いくら仕事とはいえ、他人であるヘルパーさんに始末してもらっていいのだろうか。やはり身内がすべきなのではないか……。

 娘がいるのに、他人に汚れ物を押しつけてしまう罪悪感が、どうしても拭えなかったのです。

 もやもやした思いを抱えたまま、私の撮りためた映像と、呉まで来てくれたカメラマン・河合くんの撮りおろしで構成したテレビ番組「Mr.サンデー~娘が撮った母の認知症」の放送を迎えました。この時にスタジオでご一緒したのが、認知症専門病院「和光病院」(埼玉県)の院長、今井幸充先生でした。先生からいただいたアドバイスが忘れられません。

 今井先生は、

「信友さんはまだヘルパーさんに遠慮がありそうだね」

 とズバリ指摘。そして、その後の母との向き合い方の指針となった大切な言葉をくださったのです。

「介護はプロとシェアしなさい」

 シェア=役割分担です。プロとうまく役割分担して介護してゆくことが大事だというのです。

 介護のうち他人でもできることは、プロの方がうまいんだからプロにお任せした方がいい。・・・

 それでは、家族が果たすべき役割とは何か。今井先生は、

「その人を心から愛すること。これに尽きるよ」

 とおっしゃいました。これはどんなカリスマヘルパーさんにもできない、家族にしかできないことだと。

「介護はこれから何年続くかわからないんだから、家族だけで抱え込んだら絶対パンクするよ。他人に頼る覚悟を決めないと。自分が疲れちゃって、お母さんのことを恨むようになったらそれこそ本末転倒だよ」

 先生のその言葉に、心の霧がサーッと晴れていくような気がしました。

 

 ところで一週間ほどブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)