きのうの記事のつづきです。
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・・・先日、フーちゃんは鬱の時の僕に対して、「墨平」という名前をつけてくれました。「真っ黒だけどただ暗いだけじゃないから、墨、かな」とフーちゃんは言いました。すると、僕、恭平は墨平に感謝の気持ちが現れたんです。いつも鬱の時、きついのに、頑張って、踏ん張ってくれてありがとう、って。僕は手紙で初めて、鬱の時の自分に、つまり墨平に感謝の気持ちを伝えることができたんです。そんなこと考えたこともありませんでした。その後、鬱の時、墨平は僕からの手紙を読んだのですが、なんと初めて恭平の気持ちが伝わったんです。感謝の気持ちを持ってくれたことで、墨平が柔らかくなりました。そして実は、躁の時も墨平が存在してるってことを教えてくれました。
・・・「恭平は二人いる」とすぐに理解していたフーちゃんが、自分は表に出てこずに、徹底して、言葉の意味を伝達する翻訳家としての職能に専念してくれたおかげで、僕と墨平の対話が実現できたんだと思います。
墨平の気持ちを理解して、墨平は躁の時もいるんだという認識が広がると、自然と躁の時の僕の激しさがまろやかになっていきました。同時に、鬱の時の自己否定が薄らいでいったんです。しかも、記念すべきことに、2022年の7月にまた2泊3日で鬱になったのですが、その時、生まれて初めて、自己否定をすることが一度もなかったんです。ただ疲れている、そして、一人になって仕事場に籠って、次の新作を作りたい、とただ素直に思えたんです。これには驚きでした。僕と墨平と翻訳家フーちゃんの三人で、29歳くらいから試してきた対話の実験が、15年を経て、もしかしたら和解したのかもしれないと僕は感じました。
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元気な時は、鬱になるとは思わないんです。絶対にもう二度と鬱にはならない、と思ってしまうんです。これぞ、感情の記憶が完全に分断している証拠です。・・・
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そこで、フーちゃんのひと声が入ってきます。それで僕はハッと気づくんですね。そして、メールを送るんです。
「トークの仕事、引き受けます。ですが、一つ条件があります。今は元気だから、自分自身も想像ができないのですが、僕は躁鬱病でして、人前に出る仕事が増えていくと、鬱になる傾向があります。そこで、鬱になった時は延期します、という注意書きを告知文の中に入れてください。それでも良ければ、ぜひ仕事をやってみたいと思ってます」
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「恭平のやり方が苦手だと思った人は離れていくと思うけど、でもそれでいいよ。きっと恭平の体調も含めて理解してくれる人がいると思うから、そういう人は鬱になっても離れないから。そういう人たちとだけ、仕事をしていけばいい」
フーちゃんはこういうふうに言ってくれたんですね。僕はずっと、躁鬱病であることを隠しながら仕事をしてましたから、なかなかこういうふうに言えなかったんです。そもそも人に嫌われてしまうことも怖いじゃないですか。・・・
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先日も養老孟司さんとのトークショーを鬱で中止させてもらったのですが、フーちゃんが連絡をとってくれて、無事に中止にすることができました。おかげで、むちゃくちゃほっとしたのを覚えてます。養老さんからは「坂口くんは、体調悪い時はちゃんと休んでくれるから気が楽だ」というメールをいただきました。僕は泣きました。なんかフーちゃんと養老さんがいると思うと、心からほっとします。
理解してくれる人は必ずいるから、その人たちと生きていく。フーちゃんのこの言葉は、今ではしっかり僕の仕事のベースとなってます。・・・
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子供たちも大きくなり、子育ての負担が減り、フーちゃんはとうとう2年前の2021年10月に、僕が熊本に作った美術館の上階に、フーちゃんが自分でデザイン、制作したジュエリーのお店「FU」をオープンします。フーちゃんは勤めていた仕事を辞めて、独立してやっていこうと決めた瞬間に妊娠が発覚したので、お店に立つのはそれ以来です。・・・
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自分を否定せずに、無駄に落ち込むことなく、その日にできることを人と比べることなく、自分なりに少しずつ進めていく。フーちゃんのそんな姿が、これからは彼女自身の創作活動と結びついていくことを想像すると、楽しみです。僕はフーちゃんを幸福な人だと思っているのですが、それは何かに満たされ、何かを達成したから幸福というわけではない、というところが興味深いです。僕はついつい、何かを閃きそれに従って行動している時は幸福なのですが、そうやって感じる幸福は当然のことながら長くは続かず、すぐにこれからどうしようという不安を感じてしまっていました。
フーちゃんはそれとは全く違う状態です。何かに満たされているようにも感じません。何か達成したいことがある、という高い目標に向かって、必死に努力しているということとも違う気がします。ジュエリー制作に長く取り掛かれなかったことも、少しも後悔したり、子育てのせいでできなかったとか、僕の躁鬱病の看病が大変だったから、とかそういう原因とかを口にもしません。今まではやろうと思えなかったし、やれるとも思えなかった。今はやってみたいと感じているからやってみたら、できた。できたからといって、これからもずっと安泰だとも思わないけど、うまくいかなくなったらどうしようと心配することもない。うまくいかなかったら、「ちょっと無理だったかも」とフーちゃんは落ち着いて判断して、止めて、次のことに向かっていくと思います。
フーちゃんは「今」と密接に結びついてます。フーちゃんから「これからどうするんだろう」という不安の声を聞いたことがありません。同時に過信もしてません。
不安もないが、期待もしていない。かといって、いつも真ん中でいようと努力しているわけでもありません。ましてや悟っているわけでもない。
一体、フーちゃんって何者なのでしょう。ここまで書いてきたのに、やっぱり僕にはよくわかりません。