出版社つぶれるかもしれない日記、とある通りのお話で、ミシマ社の本は好きなので、ちょっとハラハラしながら、でも面白く読みました。
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あの日、社内でちいさなクーデターが起こった。
端的にいえば、僕はいち平社員となった。決裁権を失い、編集チームの方針を考える機会すら奪われた。来期の事業計画を立てるというタイミングにもかかわらず!
結果、僕抜きで編集チームの目標が決められてしまった。
実際、表面上の変化だけを追えば、クーデターとしかいいようがない。
いったい、なにが起こったというのか。
自分の整理のためにも、「あの日」を再現してみたい。
・・・
午前十一時に宿へ着くやいなや、合宿恒例のミーティングが始まった。
・・・
ホットで新鮮な素材が手に入ったのに、あらかじめ用意した素材だけで料理をする。取材でもなんでもそうだが、決め打ちをして臨むと、予定調和の域を出ないことになりかねない。
それは、「おもんない」だろう。
出版社の合宿なのだ。プロセス自体がおもしろくなくて、どうしておもしろい本が生まれよう。
てなわけで、まっさらの気持ちで臨んだ合宿初日の午前十一時。気がつけば、手元に一枚の白紙が配られていた。
「この紙に名前を書いてください」
しゃかしゃか。
「書いたら、この袋に入れてください」
ぽい。
シャッフルシャッフル。
「では紙を引いてください」
言われるがままに、引く。
「開けてください」
ぱかっ。
メンバーひとりひとり、名前の書かれた紙を掲げる。
最古参ワタナベは「タブチ」と書かれた紙を、かたやタブチは「ホシノ」の紙、入社数ヵ月の新人スガの手には「ワタナベ」が。僕は「イケハタ」、イケハタは「ハセガワ」……僕の名は誰の手に?と見渡せば、昨年七月に中途入社したオカダモリがもっている。
「では、みなさん、パンと手を叩いた瞬間、紙の人になってくださいね」
「ええーー」と一同驚く間に打ち鳴らされたのだった。パン!
営業、編集、仕掛け屋の三チームに分かれてのミーティングがスタートした。
僕は「イケハタ」として営業チームに参加。リーダーは、新人スガ率いる「ワタナベ」だ。編集ホシノも、「オカダモリ」となって営業チームの一員となった。
「ワタナベさん、来期はどうしましょう?」と「イケハタ」。
「うん、そうだな、みんなはどうしたい?」と衆知を集める新人スガ演ずる「ワタナベ」。
「来年こそは攻めていきたいですね」と「オカダモリ」。
「うん、そうしよう!」
いつになく前向きな営業リーダーの姿に現場のテンションも自然とあがる。アイデアもつぎつぎと湧いてくる。
(いい感じ!)
あっという間に十分が経過。各チームの発表の時間となった。
・・・
・・・各チームからたのもしい方針と、具体的アイデアがぞくぞくと出た。
そのひとつひとつに代表となったオカダモリ「ミシマ」は、「うん、ええやん」「よし、それ。やろ!」と決済のゴーサインを出していく。
(おいおい……)
ちなみに、「イケハタ」(僕)は「ちょっと編集もやってみたいと思うんです」と言ってみた。
すると、オカダモリ「ミシマ」はちょっと思案をめぐらせたのか、一拍おいてから、おもむろに口を開いた。
「採用!」
こうして一時間半のミーティングが終了した。
全員、充実の表情をしている。実際、僕もとてもたのしかった。
すくなくとも一時間以上、他人が自分を支配していたのだ。僕でいえば、イケハタくんならどう考えるだろう、こんな表現をするかな、と終始考えながら行動し発言をした。
もちろん、そのあいだ、自分は消さなければいけない。
自分を消して他者を前面に出す。
自我消失。滅私滅我。デカルト以前の前キンダイへの回帰。
一番、上手だったのは、仕掛け屋ハセガワだ。中途採用で四月に入社したばかりの「T」を演じたハセガワは、そこにTくんがいるのか、と見間違うほどのT口調で意見を述べた。
それを見て思った。
観察力と描写力。これだな。つまるところ、仕事に必要なのはこのふたつじゃないか。
・・・
逆に、他者になりきれなかったメンバーもいた。そういう人たちは、日々の仕事の時間においても「自分」に閉じこもってしまっている可能性が高い。
いずれにせよ、自分という枠組みを内外から揺さぶられる時間となった。大げさにいえば、自我の肥大化が近代の一つの傾向とすれば、今回のミーティングはキンダイを揺さぶる時間そのものであった。
そして、ふだんの自分の檻を破って、他者を組み込んだ自分が内から顔を出したとき、人ってこんなにいきいきとした表情をするんだ、と思った。
よしよし。企画者である私は満足げな顔を浮かべた。
はい、おしまい。
おいおい、クーデターとか言っといて、企画者ってことは自分が考えたってこと?つまりは自作自演?入れ替えミーティングを考案し、紙を配り、シャッフルして配りなおしたのもあんたでしょうが!
ええ、そうです。私ですとも。
たしかにそうなのだが、思いついて、「やろう」と思った時点では、まさか決裁権まで奪われるとは思ってもみなかったのだ。こんなに盛り上がり、楽しいとも思わなかったし。
いやぁ、びっくりびっくり。