パルプ・ノンフィクション

パルプ・ノンフィクション: 出版社つぶれるかもしれない日記

 出版社つぶれるかもしれない日記、とある通りのお話で、ミシマ社の本は好きなので、ちょっとハラハラしながら、でも面白く読みました。

 

P215

 あの日、社内でちいさなクーデターが起こった。

 端的にいえば、僕はいち平社員となった。決裁権を失い、編集チームの方針を考える機会すら奪われた。来期の事業計画を立てるというタイミングにもかかわらず!

 結果、僕抜きで編集チームの目標が決められてしまった。

 実際、表面上の変化だけを追えば、クーデターとしかいいようがない。

 いったい、なにが起こったというのか。

 自分の整理のためにも、「あの日」を再現してみたい。

 ・・・

 午前十一時に宿へ着くやいなや、合宿恒例のミーティングが始まった。

 ・・・

 ホットで新鮮な素材が手に入ったのに、あらかじめ用意した素材だけで料理をする。取材でもなんでもそうだが、決め打ちをして臨むと、予定調和の域を出ないことになりかねない。

 それは、「おもんない」だろう。

 出版社の合宿なのだ。プロセス自体がおもしろくなくて、どうしておもしろい本が生まれよう。

 てなわけで、まっさらの気持ちで臨んだ合宿初日の午前十一時。気がつけば、手元に一枚の白紙が配られていた。

「この紙に名前を書いてください」

 しゃかしゃか。

「書いたら、この袋に入れてください」

 ぽい。

 シャッフルシャッフル。

「では紙を引いてください」

 言われるがままに、引く。

「開けてください」

 ぱかっ。

 メンバーひとりひとり、名前の書かれた紙を掲げる。

 最古参ワタナベは「タブチ」と書かれた紙を、かたやタブチは「ホシノ」の紙、入社数ヵ月の新人スガの手には「ワタナベ」が。僕は「イケハタ」、イケハタは「ハセガワ」……僕の名は誰の手に?と見渡せば、昨年七月に中途入社したオカダモリがもっている。

「では、みなさん、パンと手を叩いた瞬間、紙の人になってくださいね」

「ええーー」と一同驚く間に打ち鳴らされたのだった。パン!

 営業、編集、仕掛け屋の三チームに分かれてのミーティングがスタートした。

 僕は「イケハタ」として営業チームに参加。リーダーは、新人スガ率いる「ワタナベ」だ。編集ホシノも、「オカダモリ」となって営業チームの一員となった。

「ワタナベさん、来期はどうしましょう?」と「イケハタ」。

「うん、そうだな、みんなはどうしたい?」と衆知を集める新人スガ演ずる「ワタナベ」。

「来年こそは攻めていきたいですね」と「オカダモリ」。

「うん、そうしよう!」

 いつになく前向きな営業リーダーの姿に現場のテンションも自然とあがる。アイデアもつぎつぎと湧いてくる。

(いい感じ!)

 あっという間に十分が経過。各チームの発表の時間となった。

 ・・・

 ・・・各チームからたのもしい方針と、具体的アイデアがぞくぞくと出た。

 そのひとつひとつに代表となったオカダモリ「ミシマ」は、「うん、ええやん」「よし、それ。やろ!」と決済のゴーサインを出していく。

(おいおい……)

 ちなみに、「イケハタ」(僕)は「ちょっと編集もやってみたいと思うんです」と言ってみた。

 すると、オカダモリ「ミシマ」はちょっと思案をめぐらせたのか、一拍おいてから、おもむろに口を開いた。

「採用!」

 こうして一時間半のミーティングが終了した。

 全員、充実の表情をしている。実際、僕もとてもたのしかった。

 すくなくとも一時間以上、他人が自分を支配していたのだ。僕でいえば、イケハタくんならどう考えるだろう、こんな表現をするかな、と終始考えながら行動し発言をした。

 もちろん、そのあいだ、自分は消さなければいけない。

 自分を消して他者を前面に出す。

 自我消失。滅私滅我。デカルト以前の前キンダイへの回帰。

 一番、上手だったのは、仕掛け屋ハセガワだ。中途採用で四月に入社したばかりの「T」を演じたハセガワは、そこにTくんがいるのか、と見間違うほどのT口調で意見を述べた。

 それを見て思った。

 観察力と描写力。これだな。つまるところ、仕事に必要なのはこのふたつじゃないか。

 ・・・

 逆に、他者になりきれなかったメンバーもいた。そういう人たちは、日々の仕事の時間においても「自分」に閉じこもってしまっている可能性が高い。

 いずれにせよ、自分という枠組みを内外から揺さぶられる時間となった。大げさにいえば、自我の肥大化が近代の一つの傾向とすれば、今回のミーティングはキンダイを揺さぶる時間そのものであった。

 そして、ふだんの自分の檻を破って、他者を組み込んだ自分が内から顔を出したとき、人ってこんなにいきいきとした表情をするんだ、と思った。

 よしよし。企画者である私は満足げな顔を浮かべた。

 はい、おしまい。

 おいおい、クーデターとか言っといて、企画者ってことは自分が考えたってこと?つまりは自作自演?入れ替えミーティングを考案し、紙を配り、シャッフルして配りなおしたのもあんたでしょうが!

 ええ、そうです。私ですとも。

 たしかにそうなのだが、思いついて、「やろう」と思った時点では、まさか決裁権まで奪われるとは思ってもみなかったのだ。こんなに盛り上がり、楽しいとも思わなかったし。

 いやぁ、びっくりびっくり。