言葉にできないモヤモヤについて、いろんな観点からやりとりされています。
正解のない雑談なだけに、発想が自由に飛び交っていて、おもしろかったです。
こちらはヨシタケシンスケさん。
P39
ヨシタケ ・・・自分はできないことが多いので、みんな、なんでできるんだろうって。僕は昔から、これじゃダメなんじゃないか、正解とは違うところにいるんじゃないかっていう不安がずっとあるんです。
・・・
・・・もう心の癖としか言いようがなくて、理屈じゃないんですよね。こんなこと言っちゃダメなんじゃないか、あんなことやっちゃダメなんじゃないかと、人一倍常識を気にする子でした。やってもやってもこれは正解じゃないんじゃないかって休まらない部分がずっとあって、その苦しさは今も続いています。
・・・
―自分を疑い続けると、どこかで折り合いをつけないと苦しいだけですよね。
ヨシタケ つきつめると、なんで生きてなきゃいけないんだろうという話になる。よく辛いときに人は、「あれがあるから頑張ろう」としがみつく、取っ掛かりがあるんですよね。僕は、好きも憎しみも、全部なくなって壁がツルツルになっちゃうんです。その瞬間が一番怖い。
―外から見ると、ご家族もいて、素敵なアトリエもあって、読者もたくさんいる。なんの不安もなく見えますが……。
ヨシタケ 自分でもこんなに辛いわけないと思うんですよ。でもなんかツルツルになりがちなんですよね。ひたすら、でこぼこが戻ってくるのを待つしかない。
―そういう気質と向き合い、材料にして描いたものは、確実に人のためになっているのではないでしょうか。
ヨシタケ 僕のような怖がりで、臆病な人に届いてほしいという気持ちはあります。やっぱり怖くない?って。似たような人と共有したいなと。
―作品にすることで、得た気づきなどはありますか。
ヨシタケ 二重の驚きがありました。そういう弱さみたいなものは、けっこうたくさんの人たちの根っこにあるんだな、ビクビクしてるのは僕だけじゃないんだなという発見。もうひとつは、他の人たちはそういうものをちゃんとアップデートして乗り越えておとなになっていくけど、僕はその土台の部分にずっといるんだなという驚き。
―その驚きが、作品の根幹にあり続けている。
ヨシタケ 意外とたくさんの人におもしろがってもらえているけれど、ホラ、そこでまた「そんなわけないよな、今珍しがられているだけだよな」って出てくるんですよ。
―珍しいだけじゃ1冊はできても、10冊も20冊もは続きません。
ヨシタケ やっぱ心配性も年数が違うというか。ポッと出の心配性じゃないんですよね(笑)。いつ本がぱったり売れなくなっても、そうでしょうねっていう。覚悟ができてるって、強いんです。何が起きても、よかったなと加点方式になる。
・・・
―私は最近、23の娘がアパートを借りると言いだして。いいんじゃない?と淡々としながら、日に日に寂しさが募りまして。たまたま周囲から、実家のほうが今の君にはいいと諭され、急に撤回したんです。アパートの契約も自分でしていたのですが、「やめました。お騒がせしました」と夫と私に頭を下げて。そのとたん、自分でも驚いたのですが、号泣していました。子どもが23にもなって、自分はいつ母を卒業できるんだろうかと情けなかったですね。先週のことです。
ヨシタケ そういうところで泣けるというのは逆に、うらやましいな。そこまで心を動かしてくれる人といられるのは、家族という単位の褒美じゃないですか。・・・寂しがれるっていうのはすごい取っ掛かりじゃないでしょうか。
―取っ掛かり。
ヨシタケ 寂しがらないと、何に対してもおもしろがれない。悲しんだり、怒ったりというのは、ニュースみたいな自分と直接関係ないことでもできるけど、寂しいって、思おうとしてできることじゃないっていうのかな。
―わ、すごい発見だ。それっていつ気づきましたか。
ヨシタケ 今話しながら(笑)。そっか、うん。寂しいのって別に悲しくはない。寂しさはなにか別のことでも紛らわせられるし、置き換えられる。なにかで埋めようと、楽しめることはすごく贅沢かもしれない。寂しがりもできない辛さに比べたら。
・・・
ヨシタケ ・・・歳を取って自分のできることが減っていったときに、僕は救われました。これはもういいや、これも間に合わないから頑張ってもしょうがないと見極めて、すごい楽になれたんです。だから、今は自分に対しても、「落ち込むことはよくない」、「落ち込むな」じゃなくて、この癖はなくならないと知った上で「落ち着いて落ち込もう」と思ってます。