辻仁成さんの、お料理のレシピ付きエッセイ。
味わうことって大切だなーと思いました。
P96
君と二人きりで生きることになった時、幸せって何だろうって、悩んだこともある。ご飯を作っている時とか、子供部屋の掃除をしている時とか、スーパーで買い物をしている時なんかに、ふっと頭を過って、よく立ち止まっていた。
若かった頃は幸せなんてものは求めていなかった。でも、シングルになって君を育てねばならない宿命を背負ったあの日から、パパは絶対幸せになってやるって意地になっていた。君もうすうす感じていたとは思うけど……。笑。
幸せってなんだと思う?成功?お金?贅沢出来る暮らし?愛する人がいることかなぁ?パパはある時、幸せって、ふとした時に、え?もしかしたら今、自分幸せなのかな?って感じるものじゃないかって気がついた。幸せのただ中にいる時は、逆に気づきにくいものかもしれない。
あ、そうだ。幸せって失ってはじめてあれが幸せだったのかな、と気づくものだったりするよ。あんまり欲張り過ぎていると見失いがちな、小さなものだったりする。
二人で生きて8年目に入ったけど、パパは時々、君が小学生だった頃のことを思い出す。ほら、パパが君のバレーボールのコーチになって、特訓をやった時期があったじゃないか。家の前の広場で。「パパ、バレーボールやれる?」とよくせがまれた。
君はバレーボール部員だった。強くなりたいからコーチしてって、頼まれた。面倒くさいなぁ、とは思ったけど、夕方、毎日特訓した。もうやらなくなったけど、パパはあの頃のことが忘れられない。たまに思い出す。
君は一生懸命だった。中学生になるとバレーボールのパリ大会で銅メダル、銀メダル、そして、金メダルまで取って帰ってきた。あれは幸せな瞬間だったなぁ。紛れもない、我が人生で一番幸せな時間だった。
形になるようでならないもの。目に見えるようで見えないもの。幸せってあまりにささやか過ぎて気がつきにくいものなんだよ。
すごい賞を受賞した人とか大金持ちが幸せだとは、もう思わなくなった。昔の自分が追いかけていたものは賞状とか賞金とか栄誉とか成功が伴うものばかり。でもそれは達成感に過ぎなかった。幸福を勘違いしていた。幸せは達成感じゃない。人生という終わりのない旅の過程にある、休憩所だ。旅を振り返り、これから向かう旅への希望を嚙みしめる場所だよ。
苦しみから目をそらさずに生きなきゃ、とパパは自分にずっと言い聞かせてきた。いつも自分を戒めて生きてきたんだ。そうしたら、その苦しみの根本を理解できるようになってきた。日々のささやかな感動を喜びと感じるようになってきた。たとえば、料理とか、食事とか、君との会話とか……。
君が少しずつ大人になっていく毎日をぼんやり眺めながら、これが幸せなんだろうな、と思るようになっていく。今は、身の回りにある小さな見逃しそうな幸せをかき集めて生きている。
それは素晴らしいことだ。胸を張って言うけど、それこそが幸せだ。だから、キッチンに立ち、さぁ、美味しいものを作るぞ、と自分に号令をかける時、パパは幸せだなって、自覚することが出来ている。