ものは言いよう

ものは言いよう (MOE BOOKS)

 ヨシタケシンスケ図解のような本。

 これまでに出版された絵本の話、「もう ぬげない」と「おしっこちょっぴりもれたろう」は出オチで・・・とか、面白かったです♪

 こちらは、ちょっと真面目な?お話の部分です。

 

P122

 「作家に必要なものはなんですか」と聞かれたときに答えは1つしかなくて、センスです。努力でもなんでもなくて。でもそれだと話がもたないわけで、それをいかに薄く伸ばすか、いろんな言い方をするか、というだけでしかないんですよね。そのセンスが時代にとって受け入れられるものかどうか、それは本人にはどうしようもないし、絵本でいえば、作家になれるかどうかは本人は決められない。編集者が、版元が決める話であって。

 自分が面白いと思うものがある、ただそれを面白いと言ってくれるのは自分だけなんだろうか、それが世の中でくすぶっている人の総意なんですよね。これは自分しか面白がらないんだろうか、その問いというか不安、そことの戦いのはずであって。自分が好きでないことをやり続けていられるほど、人間丈夫じゃなくて、自分が面白いと思うものをつくるしかないんですけど、人である以上はほめられたいし、「自分も好き」って言ってもらえれば救われるし、それでお金をもらえればなおのこと、言うことないわけですよね。ただ、そう言ってくれる人が3人なのか3000人なのかは、意図してできることじゃないっていう。そのすごく当たり前のことを、どうにか面白おかしく言えないだろうかと思うんですけど。

 ただそこも自分が言う側の立場になったときに、作家に対する憧れや嫉妬みたいなものがないまぜになった昔の自分に、何が言えるのかというと、……まあ、難しいですよね。一番聞く耳を持たなきゃいけない人って、聞く耳持ってないから。朝の教室で先生が「なんでお前ら遅刻するんだ」って怒っても、遅刻している人はそこにいないんですよ。本来言われなければいけない人はそこにいないという構図はどの世界でもあって、作家になりたい人には難しい話なんですけどね、身もふたもない話になっちゃうんですけど。

 でも、ちょっとしたきっかけで伸びる人は間違いなく存在して、そういう意味では僕も編集者さんに救っていただいた一人なので、よい出会いがあればどうにかなるというのは、自分の経験から言える唯一のことなんですよね。ただそのよい出会いを引き寄せるためには、準備ができていなければいけないというか。「これならできます」と見せるものを用意しているかどうか、用意ができた人にそういう出会いが巡ってくるはずだというのは、そんなにファンタジーではないはずで。準備をコツコツして、ある程度の準備ができたときに見つけてくれる人が出てくるというのは、ちゃんと起きる現象だと思うんですよね。自分もそうだし、人を見てても。

 

①「センス」とは、別の言い方をすれば「運」なのかもしれませんね。

②ただ、どんな世界にも「才能だけでやっていくコース」と、「才能はないけど技術と努力でどうにかするコース」があって、どちらもプロにはなれるんです。

③「努力コースの最高峰」というかっこよさもあるわけで、

④「自分は才能コースで勝負はしない」という覚悟が大事な時もあるなあ、と思います。

 ・・・

「ボンヤリとしたおもしろそうな企画の話をするだけ」という仕事があればいいのに…といつも思います。

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 ・・・面白そうな企画はいっぱい出せるけど、実際にラフに描いたときに面白いかどうかは、まったく別問題で。ラフに描いたときに具体的なものになっているかどうか、「あれ、この間あんなに盛り上がっていたのに」「なんかもっと面白いはずなんだけど」というのは、そこの差ですよね。なんとなく盛り上がった面白さが、具体的にこういう小ネタのことだよね、とできるかどうかが作家の力量なんですよね。打合せで盛り上がるのは、案外簡単なんですよ(笑)。