昨年出版された大原扁理さんの本を読みました。
まえがきにかえて、にはこのように書かれていました。
「この本は、私なりに方丈記を現代にアップデートする試みです。・・・この本にはアカデミックな狙いは微塵もありません(というか学者ではないので、私にそんな力はありません)。・・・でもですね、こう言っては厚かましいけれども、日本に連綿とつづく隠居の系譜の末席を汚している令和の隠居(私)としては、方丈記に描かれた平安時代と似たポスト・コロナの現代において、鴨長明そして方丈記以上に気になる存在はありません。あなたが本書のどこかに、不安な日々を生きるための道しるべを見つけてくださったら、著者として望外のよろこびです。」
こちらは方丈記とはあまり関係ないかも?ですが、印象に残ったところです。
P127
個人と社会の健康的な関係の原則は、お互いが自立していること。
理想としてはそうですが、自分のことを全部自力でまかなえればいいかと言えば、そうは思っていません。自力でできない人もいるからです。
既出のとおり、父は2020年の5月から入院しました。入院中はすべて病院でやってくれるのでいいのですが、大変なのは退院後です。排泄と入浴がひとりではできなくなっていました。・・・
・・・
ところで私は隠居生活を始めてから、低所得ではあるけれど、お金に親切にしていればいつも過不足ないぶんだけはお金がそばにいてくれるので、「お金を所有しなければいけない」という考え方からどんどん離れていきました。
これは「時間を所有する」という考え方からも離れていく練習だと思いました。というか、「時間は自分のもの」という考え方から離れないと他人の世話なんてやっとれん。隠居してから時間だけはありあまるほど(といっても1日の上限はどうがんばっても24時間だけど)あったし、誰かのために使うにしても選択権が自分にあった。それが今、強制的に自分の時間の何割かを他人のために使わなければならないということは、もう時間は自分のものではないと思った方がラクかもしれない。
生きてるだけで親の時間やお金やリソースを使っているというのは、私が子どもの頃から持て余していた未解決の罪悪感でもあって、だから人一倍自立へのあこがれが強かったんだと思うんだけど、ああ人間って、本当はこうやって誰もが誰かの時間をもらって生きてきたんだな。方丈記の中には家族の話がほとんど出てこないけど、鴨長明だって隠遁生活に至るまでには、そういう時期があったはず。
父の病状は一時悪化して、人工呼吸器が必要になったりもしましたが、3か月後に無事退院。途中で2回目の入院と手術を経て、だんだん回復しています。現在は、父母ともに要介護レベル1ですが、なんとか家の中での生活はできるくらいまでになりました。
・・・
・・・母の手首が梅の老木のようにゴツゴツとふくれあがっているのに気がつきました。
「何それ?」と手首を指さして言う私。
「リューマチ」
「痛いの?」
「包丁にぎると痛いもんで料理ができんだわ~」
あら大変。じゃあやさしいこの私が毎日家族全員分の料理を作ってあげましょう。
ウチは家族全員バラバラに食事するので、保存と使いまわしがきく作り置き&いつでも食べられるものが基本です。あと家族は全員白米肉食派です。玄米菜食派は私だけですが、2種類作るのはめんどくさいのでここはあっさり妥協。朝食はバナナとかヨーグルトを適当に食べてもらうとして、昼食はサンドイッチ、そして夜は件の万能ミネストローネと何か。
すべての料理は家族全員が寝静まった深夜に、翌日の分を準備しておく。こうすれば私は誰にも会うことなく、両親は朝起きたらその日のメニューが冷蔵庫に完備されているというわけです。完璧だ。
掃除や洗濯も私が家族の分までやるようになりました。こういう時、労働を最低限にしていると無理なく対応できるので、本当に良かった。しかし私がやるようになってから、仕事も趣味もない両親は緊張感がなくなり、圧倒的にボーっとする時間が増え、ただでさえ多い酒量もさらに増え、それでいて私より動かないのに私より食うのが気になってはいました。
そんなある日、キッチンからガスッ!ガスッ!という鋭い切削音が聞こえてきました。
何かと思い行ってみると、母があの老梅のようになった武骨な手にアイスピックとハンマーをむんずと握り、プラスチックの2リットル容器に冷凍した氷を叩き割っているではないですか。
「……何してんの?」
「ウイスキーのロックの氷つくっとる~」
おまえ、ほんとは料理できるだろ!
氷塊にアイスピックを打ち込む一心不乱な老婆を見ながら、酒が飲みたい衝動というのはリューマチの痛みも忘れさせるものなのかと驚きを禁じえませんでした(方丈記と関係ないオチですみません……)。