平松洋子さんの、おあげさん愛がつまった一冊、どれもこれもおいしそうでした。
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あれがあるな、と思うと安心できるものがいくつかある。
素材なら、一番に挙げたいのはやっぱり卵。オムレツ、卵焼き、ゆで卵、目玉焼き、ポーチドエッグ、かき玉汁、煎り卵……いかようにでも姿を変えて、そのときどき自在に応えてくれる。ゆで卵ひとつとっても、潰せば卵サンドイッチ、くし形に切ればサラダの華やぎ、塩水に浸せば塩卵になる。私が塩卵と呼んでいるこれは、ジッパー付きの保存袋のなかにゆで卵四個、水一カップ、塩小さじ一を入れてひと晩以上置く、いってみれば塩漬け卵だ。ただ塩水に浸しておくだけなのに、ぷりっと弾力がついた塩風味の白身のおいしさは格別で、小腹が空いたときや酒の肴にも向く。ふと思いついてシングルモルトのウイスキーといっしょに試してみたら、夜のふかい時間に覚醒させられるほどの相性のよさだった。アイルランドに吹く潮風と海の塩が手を握り合うのは無理のない展開だけれど、想像もつかない展開を秘めているところに卵という食材の奥深さがあるのだろう。
つぎに挙げたいのはもちろん、われらが油揚げである。
ちょこちょこ買い足すのも面倒なので、五、六枚くらいまとめて買いたい。二枚入りの袋の場合は三袋、合計六枚。油揚げ六枚となると、厚みも重みもなかなかのもので、ちょっとした札束感があると思ってしまうのは、油揚げの金茶色が小判とか金のわらじを連想させるからだろうか。これさえあれば、と大船に乗り込んだ気になり、さあどこからでもかかって来なさい、と鼻の穴がふくらむ。
買い物かごから油揚げを取り出すと、恒例の用事をおこなう。すっかり長年の習慣になっているので、面倒だと思うスキマもない。
油揚げ二枚か三枚、まな板の上に横たえ、太めの短冊切りにする。小鍋に醤油、酒、みりん、だし汁。煮汁がまわりやすいようにだし汁を少し入れるのだが、なに、水でもちっとも構わない。だし汁なら味がこっくり、水ならあっさり、どちらにしても油揚げがすべてを成立させてくれるから問題ない。小鍋のなかがさっと煮立ったら、油揚げの短冊をざっくり入れて十五分からニ十分、ふたをしてことこと煮てから火を止め、そのまま冷やす。冷めるのを待つのも大事なひと工程(とはいえ、ただ鍋を放っておくだけ)で、このとき味がじんわり染みこんで落ち着く。粗熱が取れたら底に残った汁ごと容器に移し、冷蔵庫の定位置にしまう。
この、ただ煮ておくだけの短冊の使い勝手のよさはすばらしい。見た目はむっつりとして、醤油の染みた濃い茶色がちょっと貧乏たらしくもある。立派なところなど一切ない、ただ地味なだけのひとかたまりなのだが、変幻自在の活躍ぶりにはいつも心を動かされる。
七味唐辛子をかけて、ちいさなおかず。
そのまま麺にのせ、そうめんやうどんの具。
たっぷりのおろし生姜を混ぜて、麦酒のつまみ。
丼飯にのせ、もみ海苔と七味唐辛子をかける。
小松菜やキャベツ炒めにくわえる。
刻みねぎといっしょにさっと煮て、すまし汁。
小鍋に移して火にかけ、溶き卵をふわっと回しかけて卵とじ。
卵とじを丼飯にのせて、あぶたま丼。
お弁当のごはんのあいだに海苔と重ねて平らに敷き、きつね弁当。
…………いくらでも。
これという名前のついた料理に仕立てるわけではなく、あぁあれがあるなと思ったら短冊に手を伸ばす。そのまま味噌汁の具に使うこともあれば、熱燗の合いの手にすることもある。がっかりしたり、失敗したとあわてたりしたことはない。
とくに用途も決まっていない、主張もしない茶色の短冊のひとかたまり。
ゆらゆらと曖昧な存在だからこそ、なんとでもなる、なんとでもしてくれる。曖昧さが持つ自由に助けられることは多い。