文化の違い

ようこそアラブへ

 できない、と言う習慣がないとは、文化の違いって面白いなあと思います。

 

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 数年前、世界恐慌のあおりを受けてドバイが経済破綻に陥ったとき、日本の外交官の記事が大いに物議をかもしたことがあります。

 二〇〇九年のドバイショックの直後、外交官は全国紙のインタビューに応えてこう言いました。

「ドバイ企業は日本企業に契約したお金を払ってくれない。これは明らかな契約違反だ。ドバイには、もう返済能力さえないのかもしれない」

 翌週、全国紙の一面には、総領事の顔写真を横切って「招かれざる客」と大見出しのついた批判記事が載りました。ドバイのあらゆる商業団体から、総スカンを喰らったのです。

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 ・・・勉強不足なところです。・・・ドバイ企業は・・・未来永劫返さないとは言っていません。待って欲しいと言うだけです。なぜなら、アラブ人は「出来ない」という言葉を決して相手には言わないからです。そういう習慣がないのです。

 相手をがっかりさせる言葉や、自分の無能をさらす表現を使わないのが社会儀礼で、ほとんどの場合、「いつか=インシャッラー」と表現するのみです。「出来ない」という表現は、「その気がない」という意思表示であり、インシャッラーは「その気はある。けれどいつかは断言できない」という意思表示です。すると聞き手は、「待って欲しい=インシャッラー」という言葉の裏を読み取って、公的な場で相手に恥をかかせないように、上手に幕を引くべきなのです。・・・

 対照的だったのは、その記事から一週間も経たぬうちに掲載されたイギリス外交官のインタビューです。古くからこの地域を占領してきた英国は、さすがに押さえるべきところを知っています。

「ドバイ経済は今は苦しい時期だろうが、必ずや返り咲くのを確信している。ドバイにはその底力がある。その時がくるまで、どのような形でも英国は協力を惜しまない」

 返済してくれ、などとはおくびにも出しません。支援の言葉、ドバイを賞賛する言葉だけを連ねています。英国企業が契約金の未納でどれほど苦しんでいようと、一貫して〝仲間である〟という態度を崩さず、支援の言葉で埋め尽くしたインタビューの裏側で、「ここでは自分たちが譲歩するけれど、次では……」という態度を上品に示して、次に控えた大プロジェクト(または国際的案件)への足がかりを摑むのです。

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 これから描く未来で本当に必要なのは、人間同士の付き合いの中で培われる相手の文化への尊重ではないでしょうか。そのために必要なのは、今ある関係、知識、偏見から一歩踏み出して、その国民、社会、文化習慣、言語、さらに宗教に触れ、理解しようとする努力です。アラブ人は寛容な人々ですから、小さな失敗をとやかく追及することはありません。時間をかけて相手を正しく理解する努力、信頼関係を築こうとする姿勢は、必ずその鋭い眼力で評価します。