本物には愛が

本物には愛が。 みんな一緒 100年インタビュー

 NHKの「100年インタビュー」が単行本化されたもの、徹子さんのお話を読みました。

 

P14

 私ね、疲れに疲れてっていう、その疲れるっていうのがあまりないんですね。みんなに「疲れるってどういうの?」って聞くと「不愉快だ」って言われるんですけど、「ああ、疲れた」と、ばったり倒れ込むみたいに疲れることはないんですね。だから私は、ほどほどにやっているんだなと思うんですけど。

 ただ、芝居の稽古中はセリフを言って動いたり、いろいろなことをするので、家に帰ってすぐに寝たいっていうか、横になりたいとか思ったりしますけど。でもまあ、ちゃんとね、お化粧落としたり、お風呂に入ったりとかね。お風呂は早いんです、一分ぐらいですから。

 ちょっとこれはもったいないと思ってね、お化粧を落としたりするのはお風呂の中でしてとか、少しでも湯船に入るようにして。

 

P65

 ・・・個性が強すぎるって言われて。その個性を何とかしてくださいって言われたんだけど。自分では何が個性なのか、わからない。

 先輩が怒るんです。「日本語が変だ!直してこい、明日までに」って。・・・

 ・・・

 養成が終わった昭和二十九年に、ラジオの『ヤン坊ニン坊トン坊』という大人が初めて子ども役の声を出す、始まって以来のオーディションがありました。・・・当時、まだ大人の女の人が子どもの声をやる例がぜんぜんなかったので、・・・

 ・・・

 で、私は、トン坊っていうのをやってすぐ受かりまして。そのとき初めて飯沢先生にお目にかかり「私、日本語が変だって言われていますから、すぐに直します。個性も引っ込めます」と申し上げたんです。そうしたら飯沢先生が「君の個性が欲しいから、そのままでいいですよ。直しちゃいけませんよ」とおっしゃってくださったんです。それがなければね、いくらなんでも私は、もう、辞めていたかもしれませんね。二年も、三年も、ずっと下ろされていたらね。でも、飯沢先生が「そのままでいいです」と言ってくださったのでね。じゃあ、そのままで行かせていただこうと思って、現在までそのままできたという。あの一言がなければ、私は、どうなっていたかわからないです。

 トモエ学園の校長先生の「本当は、君はいい子なんだよ」、それと飯沢先生の「いまのままでいいです。君の個性が欲しいから」って、このお二人の言葉がなければ、私はぜんぜん違った道に行ったと思います、きっとね。何をやっても「いけない」って言われて、どうしていいかわからない大人になっていただろうなって思うし、今日ここへ来ていることもなかったと思います。

 ・・・そういう子どもを持っていらっしゃる方に申し上げたいですけど、誰か一人でもいいから、わかってくれる人がいると、子どもはのびのびと生きることができるんですよね。これをやってはいけない、あれもやってはいけない。何でいけないのかが、わからない。「あんたの個性、じゃま」って言われても、それが、何でじゃまなのかが、わからないんですから。

 私の声がいけなかったのかもしれないけど、何かわからないままに、きっと悲しかったんですけど、そういうふうに先生がおっしゃってくださって「あ、それでいいなら!」と。そこはもう切り替えが早いですから。そのままでずっときました。

 

P153

 ・・・機械がどんなに進んでも、やっぱり心優しいもの、人間最後は、愛とか優しさとかを望む。

 ・・・

 一番大事なのは、愛だって、いつも思っているんです。・・・

 結局、ヒットしている映画だって何だって、最後はやっぱり愛ですよね。人間というのは愛なしでは生きていかれないと思うんですね。愛は強いです、それはね、いろんなことができるんですから。やっぱり。ぜひそれを忘れないで、私もやっていこうって思っています。