心と頭の役割の違い

やっと本当の自分で生きられる

 ここ数年ずっと、ガイドさんから「考えるな、感じろ」と言われ続け、だいぶできるようになってきた気がします。(と、今書いたら「まだまだ、もっと徹底しましょう」と言われたような 苦笑)

 

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「ボーッとしているとき」というのは、「無」に近い状態です。

 考えていることや目の前の雑用で頭がいっぱいになっているときにはボーッとできないし、心配事や不安が心を占めているときもボーッとはできません。

 実は、私がこのボーッとしているときに浮かんだことの「すごさ」に気づき始めたのは、出産をした後からでした。新生児育児のあまりの作業量に心も体もいっぱいで、頭の中は次のスケジュールと時間のやりくりだけ、常に「いかに効率よく進めるか」を考える日々が続いていたときのことです。あるとき、すっかり疲れてしまい(簡単に言えば面倒になって)、頭で考えるのをすべてやめたのです。

 本当に緊急の仕事や用事以外はボーッとして、そのときに浮かんだことだけをする、浮かんだことから始める、今日のやることを成り行きにまかせる……そうするようにした途端、なぜか流れが良くなり、頭で完璧に考えて進めていたときと比べてスピードは落ちない、むしろ効率良くなっていることに気づいたのでした。

 さらにストレスも減ったのです。考えてみれば当然です。いつもゆったりボーッとして思いついたことだけをするようにしたのですから……笑。

 初めは怠けているように感じたのですが、その方が流れが良くなることを何度も体験すると、ボーッとしているときというのは宇宙とつながっているとき、何か情報のようなものが降ってきているときだ、と実感したのでした。

 更にこの時期、仕事について抱えていたことも、私が考えてもどうしようもないことを心配する時間がなくなったので、その問題が自動的に解決するということを何度も体験しました。考えるのをやめたことで、そこに心配のエネルギーが注がれなくなったからでしょう。考えるのをやめるだけでうまくいく、ということを痛感した数カ月でした。

 頭と心の役割を考えてみると、「心」でアイディアを思いついた後、「頭」はそれをどのように組み立てるか、どのようにまわりの人に説明するかなどの方法を構築するものです。つまり、頭で考えてアイディアや解決策を出そうと思うのは役割が違う……だからこそ、頭の活動を休めてボーッとした方が様々なことを思いつくのです。

 

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 新型コロナウィルスは、一時的な感染症の蔓延として終わるのではなく、社会システムはじめ、人間の生き方そのものを変えていくきっかけとなっています。

 個人レベルで起きた最も大きな変化は、「本当の自分が出せるようになった人が増えていること」だと思います。

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 ・・・本音では出席したくない集まりに行かなくて済むようになったことによってホッとすると共に、その「心がクリアーな状態」であり続けることが、どれほど毎日の流れを良くするかを痛感しました。

 自粛期間中、「実はすごく心地よかった」と言う人がなぜこんなにもまわりに多いのか考えてみると、誰とも比較することのない本当の自分でものを考え、振る舞い、不便な点はあれ、自分のために時間を使うという自由を味わった人がたくさんいたからでしょう。

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 そしてもうひとつ、私が感じている「解放」があります。それは、この状況を敢えてネガティブな視点で見たときに生まれたものでした。

 つまり、「こんなウィルスひとつで世界のシステムがガラリと変わる、永遠に同じことなどない、いつ死ぬかもわからない、だったら本当の自分で生きた方がずっといい」と感じたことでした。

 こう思うことによって、私の中の小さな何か(本来、手放して良かったもの)が吹っ切れ、一段と自由な気持ちになったのです。みんな違ってみんないい、自分が心地よいことを追っていい……。

 他者との比較ではなく、自分(たち)の居心地の良い状態を長く続けようとより強く思ったこと、それが他のすべての流れを良くるすこと、そして、自分の思うように好きに生きようという、より自由な感覚をコロナの出現によって感じたのでした。