マリス博士の奇想天外な人生

マリス博士の奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF)

 こんな面白いノーベル賞受賞者がいたとは、知りませんでした。

 訳者によるインタビューと訳者あとがきから、マリス博士ってこんな風、というご紹介です。

 

P316

―あなたを形容する言葉として、エキセントリック、奇行、不遜などいろいろなものがあるのはよくご存じだと思いますが、もっともご自身を形容するのにぴったりした言葉があるとすればなんでしょう?

 

マリス うーん、そうだな……オネスト(正直)だね。私はオネスト・サイエンティストだよ。そもそも私の、世界へのアプローチは、この世界になにかグランドデザインがあってそれを証明しようとする、というものではないんだ。仮説を証明するデータがほしいんじゃない。むしろ世界がどうなっているか知りたいだけなんだ。それは子供のころガレージで実験していたころからまったく変わっていない。だから最初に考えていたとおりにならなくても全然かまわない。むしろ、あれ?そうなんだ!という展開の方が楽しいよ。でも現在の科学はそうはなっていない。みんな自分の描いた世界を証明しようとしているんだ。エイズがレトロウィルスによって起こる、人間の活動によってオゾンが破壊されオゾンホールができる、地球が温暖化している。これらはみんな仮説だよ。そしてやろうと思えばそれを支持するデータを集めてくるなんてことは簡単なんだ。でもそれは世界の成り立ちを知ろうとする行為ではない。

 

P329

 マリスのまわりには嘘とも本当とも判別できない噂がつねに漂っている。マリスはサーファーである。マリスはLSDをやっている。マリスは定職に就いていない。マリスはあらゆる職場で女性問題を起して辞めている。マリスは講演会で好き勝手な話をして講演を中断された。マリスはPCRの利権からはずされたので今でもシータス社を恨んでいる。マリスは結婚と離婚を繰り返している。マリスはエイズの原因がエイズ・ウィルスではないと主張している……等々。そのなかでも最たるものが、先にも記した、デートの最中にPCRを思いついたという、いまや「伝説」化した逸話である。まさに、その場面から、本書の第一章は始まる。

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 本書では、マリスをめぐるさまざまな噂の「真相」が縦横無尽に語られる。そして、ほとんどの噂が大筋で本当のことだったことが分かる。マリスは世間における自分のイメージというものをはっきりと自覚していて、あえて偽悪的に、あえて露悪的に自らを語る。その点で、いわゆる浮世離れした天才でもなく、「いってしまっている」トンデモ学者でもない。つまり彼は本質的にすぐれて知的なのである。だから彼が、超常体験や宇宙人との接近遭遇を語っても、それは一種のエンターテインメントであり、ノーベル賞受賞体験を語っても、それは一種のエンターテインメントなのである。そして本書を読み終わった読者は、マリスが実に愛すべきチャーミングな人物であることを知るだろう。それは彼がすべてのことに対してつねに、きわめてリラックスして接しているからでもあると私は思う。ノーベル賞受賞者のほとんどは、ノーベル賞受賞後も緊張を解かず、よりいっそう研究に邁進するらしい。そしてひそかに二つ目のノーベル賞を狙うという。つまり、自分のノーベル賞受賞が単なるフロックでないことを証明したいのである。しかし、ノーベル賞とは本来的にフロックなものではないだろうか。マリスはこの点についても実にリラックスしている。マリスはヨットハーバーのそばの自宅で、植物を育て、夕陽を眺め、気持ちのよい日にはサーフィンに出かける。仮にノーベル賞がなかったとしても、彼は同じように人生を楽しんでいるに違いない。

 本書における彼の最後のメッセージはこうだ。「人類ができることと言えば、現在こうして生きていられることを幸運と感じ、地球上で生起している数限りない事象を前にして謙虚たること、そういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。リラックスしようではないか。地球上にいることをよしとしようではないか。最初は何事にも混乱があるだろう。でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、自分にぴったりとした生き方を見つけられるようにもなるのである」

 

 最後のマリス博士のメッセージを読んで、7月24日の明け方(約3か月前)に、懐かしい文明堂のCM(カステラ一番、電話は二番)の曲に合わせて

「謙虚が一番 素直が二番 最後は明るく朗らかに♪」

 というメッセージが届いたのを思い出しました。