藤井聡太さん

藤井聡太 天才はいかに生まれたか (NHK出版新書)

 藤井聡太さんの子どもの頃のお話や、デビューから29連勝の過程など、興味深く読みました。

 小4で「海賊と呼ばれた男」とか「深夜特急」が面白いとは・・・というかその前に、難解な詰将棋集を解いてしまっていたとは・・・とにかく別格らしいということはニュースなどで見ていたものの、驚きました。

 

P59

 ・・・将軍に献上するため、後世『将棋無双』と呼ばれる・・・一〇〇番の詰将棋集・・・別名を、「詰むや詰まざるや」ともいう。

 ・・・後世『将棋図功』と呼ばれるようになった詰将棋集は、この世界の最高傑作として、現在に至るまで、賞賛され続けている。

『無双』と『図功』は古来、その芸術性とともに、難解さをもって知られた。米長邦雄永世棋聖(故人)は、これら二〇〇番をすべて解ければ、最低でも四段になれると言明している。修行中の奨励会員が、悪戦苦闘して取り組む代表的な課題が、この『無双』と『図功』である。

 藤井はなんと小三の頃に、『無双』と『図功』に挑戦した。そして小四で奨励会に入る前に、ほぼ全て解き終えているという。これもおそらくは、史上最年少の記録であろう。

 詰将棋解答選手権で小学四年の藤井の姿を見た篠田正人は、こう語っている。

「もう彼が我々の尺度で測れるものでない、一流の道へ踏み出していることを痛感しました。聞けばその頃には『無双』と『図功』を解いていたということで、それはすでに小学生にして高度な専門書を読みこなしているレベルということになります。・・・」

 ・・・

 藤井がプロの養成機関である、新進棋士奨励会に入ろうと決めたのは、二〇一二年、小四の時である。・・・

 奨励会受験にあたっては、師匠が必要になる。・・・

 藤井家では、・・・師匠を誰に頼もうかと考えた。そしてやはり、藤井を小さな時からよく知る、杉本七段にお願いするのがよいだろう、ということになった。

 ・・・

 杉本ももちろん、他の棋士と同様に、将棋界の厳しさを知り尽くしている。だから、どれだけ才能ある子供であっても、自分の方から、棋士を目指さないかと、声をかけたことはない。

 それでも藤井だけは、プロ入りを希望してくれるのを、内心待っていた。

「藤井がプロである四段になるのは、将棋を続ける限りは、間違いない。何歳でなるか、だけの問題です。それは早い段階、小三ぐらいで確信していました」

 杉本は、そう語っている。後にも先にも、それほどの才能を見込んだ少年は、藤井ただ一人だけである。

 そうして藤井は正式に、杉本の弟子となった。

「もし彼がプロにならないとしたら、将棋界に魅力を失くし、『別の道に進みたい』と言ったときだけでしょう。もしそうなったら、それは自分の責任です。藤井はそれぐらい貴重な人材です」

 杉本は藤井を、ただ自分の弟子として見るのではなく、将棋界の宝だと認識していた。もし藤井が将棋界に興味をなくして、棋士にならないとすれば、自分は棋士を辞めよう、とまで思いつめたという。

 ・・・

 藤井の才能が桁違いだということは、杉本自身がよくわかっている。しかし研修会での藤井は、棋士との指導対局において、飛落ちで勝ったり負けたり。平手という条件であれば、普通に指せば、当然ながら杉本が勝つ。

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 もし一般的な子供であれば、プロ棋士の杉本七段に平手で勝ったとしたら、うれしさを隠しきれなくなる。

「それで表情が変わらないんですよ。全然うれしそうじゃない。ごく当たり前みたいな顔でね」(杉本)

 ・・・

その次、もう一度同じ条件で指して、今度は杉本が順当に勝った。

「その時には、ものすごく悔しそうな顔をされましてね」

 杉本はそう苦笑する。藤井少年は、この世の終わりのような顔をして、どんよりとしている。要するに、自分が勝って当然と思っているのが、師匠には丸わかりなのだ。

「そういえばいまだかつて、彼が私に勝って、うれしそうな顔を見せたことは、一度もないですね」

 杉本師匠は、少年時のこの藤井のエピソードを、好んで、何度も繰り返し紹介している。それぐらい、自信と根性のある子だった。・・・

 ・・・

 藤井が奨励会を受験した小四の時、藤井のクラスでは、アンケート形式で文集が作られた。藤井の記述を見てみよう。

【好きな事】将棋(大きな字で)・読書

【最近関心があること】電王戦の結果、尖閣しょ島の問題、南海トラフ地しん、名人戦の結果、げん発について。

【最近読んで面白かった本ベスト3】(1)海賊と呼ばれた男 百田尚樹 (2)深夜特急 沢木耕太郎 (3)アド・バード 椎名誠

【好きな食べものベスト3】(1)さし身 (2)味噌煮込みうどん (3)ラーメン

【将来の夢】名人をこす(一番大きな字で)

 将来の夢は、少年らしい気概が表れているというべきだろうか。「なる」のではなく、「こす」というのが目をひく。当時、名人位を争っていた、森内俊之羽生善治を想定してのことであろうか。