元はそういう話だったんだ~、と印象深かったです。
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イソップ寓話の『アリとキリギリス』の話を覚えているでしょうか。
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アリは勤勉な働き者で、キリギリスは遊んでばかりの怠け者。ヴァイオリンを弾き、歌を歌って過ごしていると、やがて冬がやってきます。
食べる物に困ったキリギリスが、アリのところにやってきて「どうか食べ物を分けてください」と頼むと、親切なアリはキリギリスに食べ物を分けてやります。反省したキリギリスは、心を入れ替えて働き者になりました……というのが、日本で知られている結末だと思うのですが、この話、原典では『アリとキリギリス』じゃなくて『アリとセミ』なんです。
寓話を編んだイソップはギリシャ人の奴隷だったといわれています。気候が温暖なギリシャでは『アリとセミ』だったけれど、アルプス以北に伝わった時に、セミはあまり馴染みがない虫なのでキリギリスになった。
実は、内容が変えられているのはそれだけではありません。
原典では、アリはセミに頼まれても「夏に歌っていたなら、冬は踊ったらどうだい」と言って、食べ物をあげなかった。「食べ物をもらったので、改心した」というのは、どうやら勤勉さを奨励しようと思って、あとから付け足されたモラリスティックな結末のようです。真面目で働き者の日本人の気質にピッタリだったのか。教科書にまで載ったりして、こちらの結末が日本では広く知られることになったのでしょう。
では、食べ物を分けてもらえなかったセミは、どうなったかといえば、それこそ野たれ死ぬことになります。けれど、この結末には続きがあって、セミはアリに向かってこう言うのです。
「歌うべき歌は歌い尽くした。私の亡骸を食べて、生き延びればいい」
これが寓話の、古代ギリシャ時代のオリジナルとされる顛末です。そう言われると、セミの生き方にも一理ある。そんな気がしてきませんか。
もちろん真面目に働いて、将来に備えることは大切です。でも「自分は心からやりたいと思ったことをやり尽くした」と言えるなら、それはそれで幸せな一生じゃないか。それをまっとうすることは、簡単ではないとしても。