言えないコトバ

言えないコトバ (集英社文庫)

 益田ミリさんの、言葉に対する感覚、ほの可笑しいというのでしょうか、面白かったです。

 たとえば・・・

 

P80

 デパートか、百貨店か。

 口にする前に、毎度、

「どっちだったっけ?」

 と一瞬とまどうわたしがいる。

 そして、最終的に選ぶのはデパートのほうだ。でも、本当なら百貨店と言いたい。子供の頃から、あの大きな建物のことを「百貨店」として見あげてきたから、あれはわたしの中ではデパートではなく、百貨店なのである。だいたい、デパートだなんて大袈裟な気がする。

 はて、どうしてわたしはデパートを大袈裟だと感じてしまうのだろう?

 デパートという文字をじーっと見て考えた。そして、その答えがわかった。

 デパートは、パレードに似ているのである。

 パレード。

 それは、ラッパや太鼓が鳴り響き、紙吹雪舞う道を、派手な衣装の人々が行進するお祭りのようなもの。パレードというコトバには、庶民をウキウキさせるパワーが含まれている。

 デパートだってウキウキする場所には違いない。いろんなものが売られているし、レストランもあれば、屋上で遊べたりもする。

 だけれど、あそこはパレードのようにドンドコ、ドンドコ浮かれ過ぎてはいけない場所である。基本的には買い物をするところであり、店員と客との、金を取り巻くバトルが繰り広げられている建物。「デパート」というコトバはパレードに似ているけれど、冷静さを失うと、とんでもないことになってしまう。

 それに比べて百貨店には、昔ながらの堅実な響きがある。調子にのって散財してはいけません、という引き締まったイメージがある。

 しかし、現在、わたしはデパートというコトバを選んで使っている。地元の大阪に住んでいたときは、周りの友達も百貨店と言っていたけれど、東京ではデパートと言うのがどうやら一般的みたいだからだ。百貨店のほうが馴染みがあるけれど、わざわざこだわって主張することもない気がする。

 ちなみに、「デパ地下」より「食料品売り場」のほうがまじめで好きだ。でも、デパ地下でいい。デパ地下と呼んでいる。

 流されてよいところでは、ざぶざぶと流される。そこに、わたしの本質なんてないのだから。