チベットに盲学校を作った方の話

わが道はチベットに通ず―盲目のドイツ人女子学生とラサの子供たち

 旅つながりで・・・

 以前、ソマリランドに学校を作った方の話https://ayadora.hatenablog.com/entry/2019/11/28/093600を読んだときも、こんなに大変なことを実際に成し遂げてしまう人がいるんだ・・・と、ものすごくびっくりしましたが、今回もよくぞめげずに・・・と驚きました。この方の、こんな思いや考え方がすばらしいなと思いました。

 

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 もう一人の学友は、わたしが出立を告げると、腹をかかえて笑いだし、「盲人がチベットをめぐる。まるでハリウッド映画みたいだな」と言った。ある女友だちの母親は心配そうに、親の許しは得ているのかとたずねた。そのときわたしは二十六歳になっていたのに。

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 ・・・わたしはかつて中国にいたことがある。・・・巨大な国の小さな部分を独力でさぐりたかったから。初めはたしかに不安になった。こんな旅を目の見える同伴者なしにのりきれるだろうか。しかしまもなく気がついた。なんとたやすく行くことか、人生を偶然にまかせて、予見できないものにこだわらなければ。計画や期限をきめず、いま頭に浮かんだことをやりとげる自由と、わたしはなじみになった。

 帰郷してからは、旅のあいだにあれほど楽しんだ自立の味がなつかしかった。・・・わたしは空気も吸えないような気分になった。わたしはそういうこととおさらばしたくなり、新たな旅行の計画を練った。しかしこのたびは、たんに場所から場所へと移動するのではなく、長いあいだ温めていた願望を実現したかった。チベット高原のどこかで盲学校を立ち上げる。

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 ・・・これはたしかに常軌を逸している。一人でチベットに出かけて、そこで盲人の生活環境を探索するなんて。ふつうならそのための調査チームを送るところだ。少なくとも理性的な人間ならだれだって、こういう旅では手がたく旅行会社の世話になるだろう。なにがわたしを再三再四こんな単独行に駆りたてるのだろう。

 いまなおわたしははっきりした答えを出せない。しかしわたしがいつも大いに緊張すると見る夢がある。わたしは砂丘の縁に立って、海をながめている。空は明るい青、海はなめらかで暗い。太陽は輝き、浜辺は人であふれている。突然、水平線のかなたで深く青い水の壁が盛りあがり、ゆっくりと音もなく浜辺に押しよせてくる。人々はとびあがり、こちらに駆けてくる。でもわたしは水の壁にむかって歩いてゆく。わたしは緊張し、神経を集中しているけれど、押しよせてくるものに魅了されてもいるのを感じる。

 ついに水の壁が浜辺に到達する。それはいまやものすごく高くなり、空の半分をおおっている。いつしか、緊張の極に達したとき、波は逆巻いてわたしを呑みこむ。そのとき、わたしは気づく。覚悟していた水の重圧が、ちっとも重くないことに。それどころか、自分が軽くて強くてエネルギーにみちるのを感じ、やりたいことはなんでもやれる、という気分になる。