理想の社会

『エクサスケールの衝撃』抜粋版 プレ・シンギュラリティ 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る

 ここ30年位の急速な変化(30年前はまだ黒電話使ってました 笑)を思うと、こんな社会の到来も、そんなに先のことではないように思えます。

 

P132

 ・・・時間の経過とともに、自動化やロボット化ができない領域は急激に縮小していくことから、人間に求められる労働も、その範囲と絶対量がどんどん限られていって、やがてほとんどゼロになってしまう。・・・それは過去に何度も警鐘が鳴らされ、必要以上に過剰な懸念がなされたような、ロボットが人間の仕事を奪うとか、ロボットと人間が競争するといった話ではない。

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 ・・・人間の労働時間が次第に少なくなり、わずかな時間ですむようになってくると、当初は生活に必要である「衣」「食」「住」に限られていたフリーになる範囲が、やがてそれ以外の娯楽や、趣味や、旅行や、果ては贅沢品にまで及んでも、なんら不思議ではないだろう。

 なぜなら、多くの人々はすでに必要十分に満ち足りた「衣」「食」「住」の環境で生活しており、その生活を維持することになんらの不安も持たなくてよいからだ。そして、労働を求められる時間も減っており、いまや利用可能な多くの時間を持っている。・・・そのなかで、自身の時間の一部を、他の人の利便性や、必要性や、欲求や、贅沢の願いをかなえてあげるという奇特な考えの人が出現したとしても、まったくおかしいことではないであろう。

 そうした流れが少しでも生ずるときに、我々人間はちょっと不思議な、非常に特殊な性質を備えている。日本では古くから「恩送り」や「情けは人の為ならず・・・」と表現される行動原理である。

 欧米社会では「Pay it forward(受けた善い行いを、他の人に善い行いで伝えていこう」と表されるように、そうした奇特な恩を受けた際に、その人に対してのみならず、他の人にも、同じ行いや、他の善い行いで伝播させていくといった現象が、まま見受けられるのである。

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 ・・・満ち足りた自分自身の生活のなかから、他人への親切や思いやりの行動に少しばかりを分け与えることは、十二分に有り得る話である。そうすれば、「衣」「食」「住」がフリーになるばかりでなく、それ以外の娯楽や、趣味や、旅行や、贅沢品ですらフリーになる可能性が出てくることが想像できないだろうか。

 

P160

 ・・・我々が理想と考える社会とは、どんなものであろうか。

1.個人の尊厳と基本的人権と生活が守られ、夢と希望と生き甲斐を持って生活できる社会

2.自由に知的探求や創造活動や哲学的思索などを行え、自由な思想を持てる社会

3.戦争や諍いがなく、他の人や他の民族、他国民とも友好的な関係を維持できる平和な社会

4.公平で公正、不平等がない社会

5.犯罪や事件、事故がない社会

6.地球環境と地域の自然に負担をかけず、人類を含む動植物の多様性を維持できる社会

7.人類が、健全な成長と進化を遂げられる社会

8.人類が、人智を超えた天災や未知の危険から逃れて、将来に生き延び、繁栄できる社会

 筆者が思いつく内容は、こうしたものである。

 ・・・本書ですでに見てきたように、このなかの少なくない内容が、次世代スーパーコンピュータによって実現されることに、すでに気づかれている読者も多いことと思う。