陰陽夜話

陰陽夜話

 夢枕獏さんと、いろんな専門分野の方が、安倍晴明について語る、という本を読みました。興味深かったです。

 こちらは河合隼雄さん、中沢新一さんとのお話です。

 

P100

中沢 僕は、最初に生物学を勉強したんですね。それには一枚の写真がきっかけになりました。伊谷純一郎さんていう霊長類学者の方が、高崎山で寝てる写真があるんです。高崎山の草の中で、周りを猿が取り囲んでいる。これを見て凄く感動しましてね。それで、「あっ、こういうものやりたい」と思ったんです。

 

河合 その、伊谷さんの写真が新聞に載ったんですが、写真の下には「高崎山の猿」っていう説明がついていましたね。

 

中沢 そうでした、伊谷さんの名前がなくてね。

 

河合 はい、なかったです。ホントの話ですよ。

 

中沢 ・・・僕はすごく感動したんですよ。つまり、猿と同じ目線なんです。・・・僕は子供のころ、子供のための『今昔物語』とか『宇治拾遺物語』とかをもらって読んでたんですが、その時に同じような感じを持ったんです。それは何かっていうと、『今昔物語』には鬼が出てきたりしますけど、だいたい目線が同じなんですよね。人間と動物とか、人間と非人間とか、人間と異界のものとかというふうに、人間と対立させたものを見下したり制圧したりするんじゃなくて、全く対称的に見るという考え方が、日本人には発達していたと思うんです。それが一番発達したのは、動物との関係だと思うんですが、いろんな芸術もそうですし、思想もことにそうだと思うんだけれど、だいたい同じ目線です。だから、昔の物語では、霊的なものや人間以外のものなど、どうしたってこの世界にあるものが出てきた時に、いきなり切りつけたりボカボカやるんじゃなくて、とりあえず同じ目線で見るっていう姿勢から始まっているものがほとんどですよね。日本では妖怪図がものすごく発達しましたでしょう。もう室町時代あたりからいっぱい描いてますよね。こんなに妖怪をたくさん描き分ける民族っていないですよ。

 

夢枕 今は水木しげる先生がやってらっしゃいますが。

 

中沢 水木先生の伝統は古いですよね。室町時代からずっと続いている。ことによると縄文時代あたりから同じかもなあ、水木先生の場合などは。面白いのは、どれも妖怪を怖がってばかりいないことです。むしろ自分が妖怪かもしれないという感覚があると思う。・・・ある京都大学の霊長類学の先生が、外国人から「なんで日本人は猿学がそんなに得意なのか」っていう質問を受けて「日本人は自分が猿と違うとると思うとらんのですよ」って答えてるのを聞いて、これは凄い、これが日本的ということなんだなあと思ったんです。日本人は猿と自分と違うとは思っていない。猿は自分だと思うし、自分と非常に似た魂がすぐ目の前に猿の格好をしているだけだ、っていう考え方があって、そこから独創的な「猿学」が生まれた。