グアテマラの弟

グアテマラの弟 (幻冬舎文庫)

片桐はいりさんのエッセイを読みました。

このタイトルの通り、実の弟さんがグアテマラに住んでいるそうで、遠い国の生活事情などと共に、そこに生活している人々の姿が興味深かったです。

 

P133

 ひとりの少年に夢中になってしまった。

 その少年は、お昼どきになると決まって弟の家に現れた。・・・

 親戚でもなさそうだ。だのに、この家の子みたいにお手伝いさんを仕切ったりしている。

「この子はいったい何者?毎日何しに来るの?」

 ある日わたしはたまりかねて弟に訊ねた。

 弟の短い説明によると、彼はアンティグアのはずれに大家族で住んでいて、アタバルにほど近い中学校に通ってきている。グアテマラの中学校はお昼までだから、学校帰りに毎日寄り道をしていくわけだ。狭い家で行き場がないのか、きょうだいが多くて構ってもらえないのか。二年ほど前からペトラさんになついて、午後中の時間をこの家で過ごしているんだそうだ。名前を聞いて驚いた。

 フェルナンド。

 冗談かと思った。甥っこのフェルナンドにそっくりだったからである。顔、というよりもその、たたずまいが。・・・

 彼らは体形がほぼ同じである。・・・

 ・・・

 このふたりは子どものくせに、まるで大人のしぐさや物言いをするところまでそっくりだった。三頭身がすかして足を組んだり、指の先で顎をつまんで、シー、シー、つまりイエス、イエスと大人の話にあいづちをうったりするのだ。

 ・・・

 買い物をしてわたしが大きな荷物を受け取ると、フェルナンドはいつもさっと現れてそれを抱えた。いくら女とはいえ、身長が倍ほどもある私が持ったほうがどう考えても効率的ではある。でも彼は一人前の男として、一度握った荷物は絶対放さなかった。常に汗だくでペトラさんの分の荷物まで詰めこまれたリュックを背負い、文句ひとつ言わず、面倒なおねだりもいっさいしない。・・・感心しきりだった。

 ・・・

 ・・・相変わらず辞書がなければ会話ができないわたしたちだったが、食卓で目が合うと、こっそりウィンクを交わし合った。わたしが目で合図をすると、彼も負けじと上向いた鼻を押し上げて目をつぶり、不器用な目くばせを返してきた。

 花をよこしたこともあった。花束というよりはねぎの束みたいなでっかい極楽鳥花。きっとどこかの庭から引っこ抜いてきたのだろう。・・・わたしの目の前で手品のように、わっ、と差し出してみせた。

 ・・・

 思うに、彼らはきっと自分が子どもだということに気づいていないのだ。

 この国では、子どもは生まれながらに家族を助ける働き手として扱われるからだろうか。市場に行けば、彼らより小さな子どもたちが店を任されて、大人顔負けの商売をしているし、町に出れば、カルガモみたいにたくさんの子どもを引きつれたお兄ちゃんお姉ちゃんたちが、子守をしながらあてなく路地をうろついている。