生きづらさについて

違和感

 そうだよなぁ…と思いつつ読みました。

 

P29

 現代は、生きづらい時代でもあると言う。

 でもさ、時代をさかのぼってみても「生きやすい」って感じて生きてる人なんて存在したのだろうか?たぶんそんな人はいやしないし、仮にいたとしても俺はあまり魅力的な人間だとは感じない。いずれにせよ、時代うんぬんではなくて、すべてはその人の状況によるんじゃないのかと思う。

 物語でもその手の「人による」というのはあって、俺の大好きな『赤毛のアン』という小説のなかにこんなやりとりがある。

 ・・・ある時、学校行事でピクニックへ行くことになるんだけど、楽しみでワクワクして寝られなくなってしまう。

 そんなアンの姿を見た養母のマリラが、「期待しすぎちゃダメ。こんな世の中で、お前みたいにいろんなことに期待していたら、どれほどがっかりすることが増えるかわからない。期待は半分にしときなさい」といった具合にたしなめる。ピクニックにしても中止になったらどうするのって、マリラとしては親心で言う。

 でも、アンはこんなことを言い返す。「楽しみが本当にならなくても、その楽しみを待っている間の楽しみは、間違いなく自分のもの」。

 俺はこの場面のアンの言葉が大好きなんだけど、がっかりしようがなにしようが閉塞感があろうが先行きが不透明だろうが、人生に期待する楽しみっていうのはあるんじゃないか。そんなことを夢見るおっさんは思ったりするのです(笑)。