人の上に立つ者には惚れさせる魅力が必要、なるほどでした。
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家康が、長男の長松丸(=のちの徳川秀忠)に、人の上に立つ者の心得を説くのですが、これがなかなか現代にも通じる真理ですのでご紹介します。
では、会話形式&ダイジェストで。
家康「大将というものはな、敬われているようで、家臣は絶えず落ち度を探しているものじゃ。恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれている」
長松丸「……」
家康「したがって、家臣というものは禄(=お金)でつないではならず、機嫌をとってはならず、遠ざけても近づけてもならず、怒らせてはならず、油断させてはならないものだ」
長松丸「では…、どうすればよろしいので?」
家康「惚れさせることよ」
これは小説の中の話ですが、家康が残した『大将の戒め』の中に同様の記述があり、著者は、ここから2人の会話を創り出したのですね。
家康は幼くして今川義元のもとで人質として育ちました。
その今川義元が織田信長に討たれ、晴れて、岡崎城に戻ったのは19歳の時。
この、お城に戻った時、実に苦労人の家康らしいエピソードが残っています。
家臣たちにしてみれば、幼くして人質となり、ずっと領地を離れていた若殿が、自分たちにどんな言葉をかけてくるのか、とても不安でした。
「もしかしたら、長年の怒りをぶつけてくるのでは…?」
そう考えていた家臣も多かったのです。
ところが。
家臣たちの前に出てきた家康はこう言ったのです。
「私がいたらぬばかりに、おまえたちには長い間苦労をかけた。今までよく耐えてくれた。これからはどうか私を支えていって欲しい」
この言葉を聞いた家臣たちは、涙が止まらなかったそうです。
家康は、初対面にして、家臣たちに「惚れさせて」しまったのですね。
・・・
人は誰でも、誰かに支えられて生きています。
「自分を支えてくれるヒトたち」に、「自分に惚れてもらう」。
もし、本当に「惚れてもらう事」ができたら、これほどの強みはありません。
「カリスマ経営者」と呼ばれる人たちも、その多くは、一見、「ものすごくワガママ」なのですが、皆、従業員に「惚れられて」いました。
松下幸之助は、会社で散々に叱り飛ばした部長の自宅へ自ら電話をかけて、奥さんにこんな事を言ったというエピソードが残っています。
「今日、ご主人はしょげて帰ってくるだろうから、夕飯にお銚子の2,3本でも付けてやって欲しい」
こんな細かな気づかいが、社員から「惚れられる」のですね。