すべてはプラーナでできている

死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる

 

「宇宙のあらゆる構成要素はプラーナでできている」とヨーガでは説明するそうです。

 なるほどと腑に落ちることがありました。

 

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 根源的生命エネルギーであるプラーナは、宇宙に満ち満ちています。私たちはそのプラーナを取り込んで、活用することで生命活動を維持しています。

 ただし「プラーナ」という概念については、やや誤解されている部分があります。プラーナは一般的に「気」と訳されることが多いようですが、気という言葉では少し説明不足です。

 インドのヨーガでいう「プラーナ」と「気」とは、イコールでは結べません。なぜなら、気という概念は、たとえば道路や椅子、時計といった物質に対しては一般的には使いません。「この椅子は気でできている」「この時計は気でできている」という言い方は聞いたことがありません。

 しかしヨーガでは、そういうものもすべてプラーナでできていると考えます。

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 ・・・「気」ではなく「プラーナ」であれば、相手が椅子でも時計でも、与えたりもらったりするのはごく自然なことです。人のプラーナを取り込んで、人にプラーナを与えることもできるし、椅子のプラーナを取り込んで、時計にプラーナを与えることもできます。「すべてがプラーナに満ちており、プラーナでできている」と解釈することが重要なのです。それが、プラーナを体感するときの手掛かりになります。

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 人は自分の持ち物に愛着を持ちますが、それは持ち物と自分の間にプラーナの交流があるからです。物が持ち主の肌になじむ、という現象もあります。肌になじむというのは、やはりプラーナの交流があることです。・・・

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 私が椅子に坐ると、その椅子に私のプラーナが入り込みます。それは椅子でも人の場合でも同じです。人に会った場合、私がその人のプラーナを取り込むと、その取り込まれた人には同時に、宇宙に満ちているプラーナが入り込んできます。

 椅子の例で説明を続けましょう。私が椅子に坐ると、私のプラーナの構成要素が椅子に注ぎ込まれます。そうすると、私のプラーナの一部が、椅子のプラーナの構成要素に同化してしまうのです。溶け込むという表現でもいいでしょう。溶け込んだ結果、私という人間の性質が、その椅子にいくらか残るのです。

 椅子のプラーナの構成要素に同化する私のプラーナは、量で見ると非常に少ないものです。ほんの少しなのです。そんな微量ではあるけれど、溶け込んだせいで、私はその椅子に対してなじむ感覚を覚えるようになります。持っているものに肌がなじみ、愛着が出て来るというのは、そういうことなのです。

 こうして、長年持って使っている物ほど、持ち主になじんでいきます。持ち主の性質を受け継ぎ、言うことを聞いてくれるようになります。長年使っている自分の椅子が坐り心地がいいのは、そのせいです。