人恋しさ

作家の道楽

 夢枕獏さんが、数々の趣味について語っている本の中に、印象的なお話がありました。

 

P118

 これはね、野田さんから訊いた話なんだけど、野田さん、マッケンジー川も単独で下ってるんだよ。北極に流れ込んでいくこの川は、カナダで一番長い川。周りも大自然に囲まれ、カヌーで下っていても、ほとんど人に会わない。

 その日も、ただひたすらの大自然を見ながら、野田さんはカヌーでマッケンジー川を下っていたっていうんだよ。すると突然、「パンッ!」という音が前方から聴こえたっていうんだよ。誰もいない場所から聴こえてきた、ライフルの発射音のような音。なんだろう?と前方に目をこらして見ると、前方の崖の上から、ライフルを抱えたひげ面の男が、こちらに向かって手招きをしている。怖いよねえ、相手はライフルを持ってるんだから。それで、カヌーの向きを変えて、男の方へ向かったんだって。

 野田さんがカヌーを停めるとね、あがれって、その爺さんが言うんだって。

 あがったら、そこに小屋がある。

 入っていくと、

「どこから来た」

「腹は減ってないか」

「酒を飲め」

 って、もてなしてくれる。

 それで、話を聞いてたら、

「オレは、人間嫌いなんだ」

 って。

「それで、街に住めなくなって、ここで一人で暮らしてるんだ」

 って言うんだよ。

 よく話を聞いたら、その街っていうのが、上流にある人口が十五人ぐらいの小さな村で、そこで人間関係に疲れて、その彼は、そこで一人で暮らしてる。

「一人でいると、人恋しくて、たまらなくなる」

 んだって。

 それで、時間のある時は、誰かが川を下ってくるのを待って、こうして家にあげて、もてなすのが彼の唯一の楽しみなんだっていうんだよ。

 いい話だねえ。

「人間嫌いなのに、人恋しい」

 人間って複雑な生き物だねえ。