自信や実力のあやふやさ

日本人へ 危機からの脱出篇 (文春新書 938)

塩野七生さんのエッセイを読みました。

こちらは勝つことで自信が生まれるのだから、初戦は勝てる相手を選ぶといいという話、林修さんも仕事の選び方について同じことを言っていたなと思い出しました。

 

P34

 つい最近のサッカーのワールド・カップが好例だ。あのときは多くの日本人が自国のチームを、予選リーグ突破どころか一勝もできずに終わるのではないかと怖れていたのである。私もその一人で、初戦のカメルーン戦は見ていられず、勝ったとわかった後でやっとテレビの前に坐れたのだから。

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 この例で、若者たちは学んでほしい。

 その第一は、「ヤレル!」と思えたのは自信が持てたからだが、その自信は勝ったことで生まれたのだ、ということだ。つまり、勝たなければダメなのである。初戦で敗れても挽回するのは伝統と地力のあるチームにのみ許されることで、それ以外のほとんどのチームにとっては、最初に当る敵に勝つことは最重要事になる。・・・

 ではなぜ、こうなるのか。

 それは、ほんとうのところ人間は、自分自身の「実力」を正確には知らないからである。他人が言うから、スポーツの世界ならば評論家のあげる数字、社会では学校の成績や上司の下す評価あたりで、まあこの程度だろう、と思いこんでいるだけなのだ。ところがそれが、思いもかけなかったことによってぐっと上がる。そうすると人は、ひょっとすると自分には力があるのかも、と思うようになる。そして、これこそが生身の人間の面白いところだが、以前は思いもしなかった力までも発揮できるようになるのだ。

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 要するに「実力」には、客観性などはないのである。「ヤレル!」と思った瞬間に、「実力」のほうも上がってくる。・・・

 というわけで、自信を持つには人生という戦場では勝つしかないのだが、いまだ経験不足で地力もない若者の考えるべきことは、初戦にはなるべく弱い相手を見つけることしかない。カメルーンに当るというたぐいの幸運に恵まれるとはかぎらないのが現実の社会なので、対戦相手は自分で見つけるしかないのである。

 ・・・若い頃の私ときたら、試験官が二人以上の場合はいつも不合格だったからである。

 それで私が考えたのは、競争相手がいない分野を狙う、ということだった。

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 もちろん、他人のやったことはやりたくないという、もともとからのヘソ曲がりゆえもある。だが、試験されると落ちるので、一人ならば落としようもないのだという計算もあったのだった。

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 今では多くの人が、イタリア・ルネサンス古代ローマの歴史を書くことは塩野七生の天命とでも思っているかもしれない。ところがその「天命」なるものは、娘時代の自信の無さをどうにかしなくてはという想いで始めた数多の悪あがきの結果にすぎないのである。

 だから若い人たちも、簡単にシラケないで悪あがきしてほしい。マキアヴェッリの次の一句を贈ります。

「やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがずっとよい」