よしもとばななさんの本、つづけて読みました。
共感する文章があちらこちらにあって、本と話しているような気持ちになりました。
P16
・・・よく観察すると下北沢では昼間からなにをしているのかわからない派手な服装の大人たちがぶらぶらしていた。酒場も夕方からすでににぎわっている。
そのような生活がしたいということではなく、そのような生活がすぐそばにある場所に住んでみたいな、そう思った。・・・
後に下北沢付近に越してきたとき、もう私はすっかり中年で、仕事も忙しく、子ども連れで行くようなところにしか行かない状態になっていた。
子どもの学校があるから早寝早起きで、予定はいつもぎちぎちで隙間がなく、きゅうくつな社会人としかいいようがない暮らしを強いられていた。
ふらふらと夜中に飲みに行って朝帰りしたり、はじめての店に飛び込んでカウンターで友だちを作ったり、スナックでカラオケを歌って知らない人と拍手しあったり、悩める友だちに真夜中に呼び出されて出ていったり、そんなこともすっかりしなくなっていた。
だから私は下北沢で、実際に思い描いていたような生活はできなかった。
人生のそんな時期はもうすっかり過ぎてしまっていたのだ。
それでも、たまに夜中に子どもと商店街を歩いていくとき、まだ開いている知り合いのお店に子連れでふらりと入って一杯だけ飲むとき、私の心の中にはあの「七〇年代の夢」のようなもののかけらがきらっと光ることがある。
私が大人になってしまったというだけではきっとないのだ。今の時代はみんな隙間を許されていない。だれかが見張っているかのようにふるまい、常に時間に追われているみたいに言える。
もうあの感じを知っている世代は少なくなっているけれど、あの意気込みだけは決して心の中から消さないようにしようと思う。街が夢見ていた頃の、その夢の気配を持ったままで創作していきたい。