フェアであること

82歳。明日は今日より幸せ

ここも、大事なことだなと思って読んだところ。

理事長をしていた日本語学校が危機に瀕したときのお話です。

 

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 二〇一一年に東日本大震災が起きて、JET日本語学校は経営危機に瀕した。多くの在校生が母国に帰り、入学予定者たちからはキャンセルが相次いだ。定員一五〇人のうち、残ったのは二〇人程度。私はすでに校長を退き、理事長を務めていたが、校長やスタッフたちは「もう潰れてしまうんじゃないか」と不安に駆られていた。

 そんなある日、校長が会議の席で、「経営のバランスが問題です。このままでは学校が潰れてしまいます。残念ですが当分の間、非常勤講師の数を減らすしかありません」と言った。しかし私は「それは違う」と答えた。

 非常勤とはいえ、ここで支払われる給料が生活を支えている人もいる。たとえ結婚して、立派な旦那さんがいて、生活には困っていない人でも、週に二回、ここで授業を行うライフスタイルが定着しているはずだ。そういう人たちに、お引き取りくださいというのは間違いだと伝えた。しかも、よい教師を育てるのはそんなに簡単なことではない。これだけ長いこと、みなさん、学校のために頑張ってくれているのに、経営が成り立たないから、じゃあお引き取りくださいというのは間違っている。

 そして私は、次のようなことを提案した。

「生徒が減るから授業数も減ります。その授業は、常勤のあなたたちではなくて、非常勤の教師たちにやってもらいましょう。その分、常勤のあなた方は暇になります。だったら、その時間を今までできなかったことに使いなさい。忙しくてできなかったことがいろいろあるでしょう。それをやりなさい。私は、一人も首を切るつもりはありません。唯一首を切るとしたら、それは理事長の私です。私は、別に授業を受け持っているわけでもないし、経理をやっているわけでもない。だから、首を切るなら私です。私は無給で働きます。三年間、私が全部保証するから、みんな、安心して働きなさい」

 ・・・非常勤講師たちは、みんな安心して仕事に専念できるようになった。

 今、それにすごく助けられている。おかげさまで、うちの学校は教師が足りなくて困るほど申込者が多く、人気が高い。それはすべて、優秀な講師たちのおかげだ。あのとき、非常勤講師たちの首を切っていたら、優秀な講師を失うことになり、生徒はさらに集まらなくなっていただろう。

 実際、震災から三年で学校は本当に持ち直すことができた。・・・

 私は常に、フェアでありたいと思っている。フェアであるということは、自分の都合を考えるのではなく、正しいことを行うことだ。震災後、経営危機に瀕したとき、優先すべきは生活がかかっている人たちを守ることだった。決して私の理事長という名誉を守ることではない。私が私利私欲のために給料をもらい続け、みんなにガマンさせるような卑しいことはできない。

 フェアであるためには、私利私欲を捨てなくてはならない。そうしないと正しい判断はできない。私も欲張りだし、お金はほしいし、いろいろあるけれども、自分の利益ばかりを考えるような、みっともない真似はしたくない。