「ラッキーマン」に続いて、「いつも上を向いて」も読みました。
想像もつかないような人生を、深い考察を交えて見せてもらえました。
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この新しい本のタイトル、『いつも上を向いて』には、二つの意味がある。まず―こっちから片付けてしまおう―これはなんということはないジョークだ。一六五センチにわずか足りないぼくは、世界とそこにいる人々の大多数とのかかわりにおいて、頭を後ろにそらして目線を上に向けてこなければならなかった。だが、これは背の低い人間の苦労の表明というわけではない。正直いって、ぼくは身長のせいで、というか身長が足りないせいで悩んだことはあまりない。もっとも、このせいでまちがいなくある種精神的にたくましくなったとはいえるが。ぼくはたいていの場合、過小評価されるためにかえって幸先のいいスタートを切れてきた。だがこの言葉にはそれ以上の意味がある―「いつも上を向いて」は、ある感情的、精神的、知的、そして霊的な態度を示している。この態度は、これまでの人生を通じてずっとぼくの役に立ってくれたし、そしておそらくパーキンソン病を患ってからのぼくの人生をずっと救ってくれたとさえいえるかもしれない。だからといって、ぼくは喪失の痛みを感じていないなどといっているのではない。体力、自然な動き、身体のバランス、手先の器用さ、自分がしたいときにしたい仕事をする自由、家族がぼくを必要とするときに家族のためにその場にいることができるという自信―これらすべてが、パーキンソン病のために完全に失われてしまったとはいわないまでも、少なくともかなり危機に瀕してしまった。
僕の人生のこの十年は―それがまさにこの本の内容なのだが―このような喪失、つまり『スピン・シティ』からの引退とともに始まった。ふと気づくと、ぼくは不思議な新しい原動力と格闘していた。・・・
・・・すべてものの見方にかかわってくる。唯一選択の余地のないものは、パーキンソン病の有無だ。それ以外のものはすべて、ぼく次第なのだ。