同じ田口ランディさんのエッセイですが、こちらは
「私にとって、宝物のような美しい思い出を題材にして、このエッセイ集の文章を・・・」
と書いてあったように、昨日のとはだいぶ色合いが違いました。
こちらは、佐藤初女さんとの思い出です。
P62
ジャガイモの皮をむく。
「ジャガイモの丸みに沿って、薄く皮をむいてあげるの。優しくね、ジャガイモが痛くないようにゆっくりむきましょう」
私はジャガイモの皮は、いつも皮むき器でザクザクむいていた。皮を剥ぐという感じだ。でも、初女さんはゆっくりゆっくり優しく皮をなで落としていく。真似しながらジャガイモの皮をむいていたら、裸になって水に浸したジャガイモたちが、なんだか「ほっ」と息をしているような気がした。
「息ができるように」ということを、よく初女さんは言う。「お米の息ができるように」「ジャガイモの息ができるように」その言葉の背後に潜む意味を、私はジャガイモをむいて少しわかった。
私の息とジャガイモの息は繋がっている。ジャガイモの息について感じるとき、私は自分の息を感じている。その二つがシンクロしたときに初めて「ジャガイモが息をしている」と心から感じることができる。
次に白あえにするニンジンの皮をむく。縦に薄く皮をむく。やさしくそっと皮をむく。するとニンジンの表面はすべすべで、やわらかなフォルムが現れる。普段、私がむくニンジンは、やはり皮むき器で強引に皮を剥がされて、筋ができて痛々しい。
そっと皮をむいたニンジンもジャガイモも、その姿がすでに優しくおいしそうなのだ。
並んでジャガイモの皮をむきながら、いろんなお話をした。本当の親子のように、子供の話や、死んでいった家族の話をした。暖かなゆったりとした時間だった。
「私の娘が大きくなったときに、こうしていっしょにジャガイモの皮をむきたいな。娘が、お母さんのむいたジャガイモは違うね、優しくむくときれいだね、って言ってくれたらうれしいな」
初女さんはにっこり笑って頷いてくれた。
私は朝からまた涙ぐんでしまう。なんで、この人の側にいるだけで泣けてくるんだか、よくわからない。生きとし生きるもののすべてと、自分の身体の感覚で繋がっている人に出会うと、私は泣けてしょうがない。