右手で左手を持つ感覚

希望のしくみ (宝島SUGOI文庫)

すごく大事なことだと思いました。

P141
養老 自然と向き合うのは、大事なことだと思うんですよ。僕は職業柄、他人のからだにイヤイヤ向き合わされたんですが。

―「とにかく見ろ」ということですね。

養老「なんだ、これ?」って(笑)。

―ほとんど「見る」行のようなものですよね。

養老 いま考えればそうなんです。結局、修行ですよ。皆、嫌がります(笑)。それでも仕事だから逃げるわけにいかないでしょう?だからといって好きになれといわれても、それはちょっと無理だから、どこか落ち着きどころをちゃんと探さなきゃいけない。そうやっていると、いつの間にか自分が変わってくるんです。
 前に書いたことがあるんですが、手の解剖をしているときに、自分がなんとも思ってないということに気がついたんです。
 だいたい、生きている人の手を触ったって気持ち悪いでしょう?男が男の手を触るとなると、必ず嫌がる(笑)。でも、あるときその感覚がないということに気がついたんです。それも、ハッと気がついたんですよ。学生のときは、間違いなく嫌だったんです。相手の手を握るというのは特別なことですからね。それが自分の右手で左手をつかんでいるみたいになっていた。
 もう五〇を過ぎていましたけど、そのときに初めて、自分が変わったなと思った。そうなろうと思ったわけじゃないんだけど、変わってしまった。それで、「ああ、これはもう大丈夫だな」と思ったんです。変な話だけど、「死んだ人に別に偏見ないな」「自分と同じだ」と。右手で左手を持っている感覚だなと。で、「ここまでくれば、もういいでしょう」という気持ちになった。