自分のままで暮らす

久しぶりに再開です。
またどうぞよろしくおねがいします(^^)

1週間前に開催した明るい終活セミナー、タイトルに終活と入れてしまったため、私は関係ないわ、と思われる方多数だったのですが(^_^;)、参加してくださった方からこんな感想をいただきました(複数の方の感想を混ぜてます)。
「誕生と死を実感することで、本当に今どう過ごしたいのかわかった。頭でわかっているつもりだったけど、思いがけないことが出てきて驚いたり、深いところで変化が起きた。このセミナーは、60代くらいで第二の人生を考えている人や、もっと若くても生き方に迷っている人が受けたらいいのでは」
私もみなさんの体験をお聞きしながら、ほんとにそうだなと思いました。
このような深いテーマは、ひとりで真剣に考えようと思ってもなかなか難しいもの。セミナーで日常から離れて、仲間と一緒に取り組むことで、集中できたり、他の方の発言がとても参考になったりします。
もし来年また開催するとしたら、こんなことをわかってもらえるようなタイトルに変更せねばですね。
今回のセミナーは、いつも以上に参加者の方々と共に創り上げたという感覚が強かったです。
また改めてお礼メールさせていただきますが、ほんとうにありがとうございました。貴重な体験ができました。

ところでこちらは、吉沢久子さんの本です。
「生き方と死に方は、表裏一体。
 どう死ぬかを考えるのは、どう生きるかを考えるのと同じです。」
というところ、とても共感しました。

自分のままで暮らす

P148
 遺言書を作ったのは、姑と夫を見送ってすぐですから三十年以上前のこと。
 自由で気ままなひとり暮らしがはじまり、残された時間を思う存分楽しんで生きようと決めたとき、死にじたくを整えなければと思ったのです。
 ・・・
 私は、チューブやいろいろな機械でつながれて生きながらえることなど、望んでいません。
 ある日、突然意識を失ったり、声を出せなくなったりする前に、自分の意思がすべての人に、間違いなく伝わるようにしておきたいと思いました。そうすれば、望まない事態にならずにすみます。
 葬儀のことも、同じ理由です。
 私は、姑も夫も、身内だけで静かに見送りました。たくさんの花を飾った中で、亡くなった人との思い出を語り合いました。
 質素ながら、本当にゆたかで心地良い時間でした。私自身も同じように見送ってほしいのです。
 折に触れてこういう話はしていますから、身内も私の気持ちはよく知ってくれています。
 しかし、いざそのときになれば、おそらく外からあれこれ口出ししてくる人もいるでしょう。
 そういうときのための遺言書です。
 元気なうちに、自分の気持ちを形に残しておく。
 残していく人たちに迷惑をかけないように、生きているうちに準備しておくことが必要なのです。
 遺言書を書いて三十年以上。
 当時お世話になった弁護士さんは亡くなられ、次の世代の方が引き継いでくださいました。その方も亡くなられ、現在三人目の弁護士さんにお世話になっています。
 これほど長生きするとは、私自身、思ってもみませんでした。
 そして、今を楽しく自由に過ごせるのは、
「あとのことはしっかりやってある」
 という安心感があるからです。
 生き方と死に方は、表裏一体。
 どう死ぬかを考えるのは、どう生きるかを考えるのと同じです。
 自分はどう死にたいのか、今考えておくことは決して早すぎはしないと思います。
 人生の最期について、真剣に考えておくことは大切です。病気になったときのこと、死んだときのことを、家族と話し合う機会はぜひほしいと思います。
 避けずに向き合った分だけ、人生はより自分らしい方向へと進んでいくと思います。