心の野球

心の野球 超効率的努力のススメ (幻冬舎文庫)

桑田真澄さんの本を読みました。
中高生の頃大ファンで、入試の面接でも、尊敬する人は?と聞かれて「桑田真澄さんです」と答えるほど(笑)
印象に残ったところです。

P90
 これは、事実上の戦力外通告だった。
 そのとき―。
 ニールの言葉に、用意していた英語で言い返そうと思ったそのとき、突然、僕に囁きかける声がふっと聞こえた。
 ―よくやったな、もういいよ。
 あれは、確かに野球の神様の声だった。
 ―もういいよ。次のステップに行こう、これは卒業だよ。
 ああ、これが野球の神様からの言葉なんだなと、僕はそう思った。
 ・・・
 ・・・肉体的には元気だったし、充分、投げられるという手応えもあった。プロで23年もやってきたから、この調子なら抑えられるということがわかる。・・・でも、マイナーに行って抑えたとしても、上にあがるチャンスはないって言われたのだ。・・・
 野球の神様の声を聞いて、僕がニールにOKと返事をするまでは、おそらく何秒という単位の短い時間だったはずだ。でも、その何秒かの間に、僕はいろいろなことに思いを巡らせた。最初は「えっ、この声は何だろう」と思った。それが野球の神様の声かもしれないと思うまで、葛藤している自分がいるのがわかった。ここでやめることはないだろう、ボロボロに打たれてからならともかく、それまでの1ヵ月間、試合で外野オーバーの打球は一本も打たれていなかったのだから、やめるなんて、ありえない。むしろ自信満々だった。
 それでも、決断したのは、実は一個のボールの存在があったからだ。
 それは、僕にとって最後の試合になった、2008年のオープン戦、シンシナティ・レッズ戦でのウイニングボール。
 ・・・
 ・・・フィリップスは、まさに僕の狙いどおり、シュートに詰まって力ない打球をショートの前に転がした。ショートがファーストに送球して、これでゲームセット。その瞬間、僕はマウンドにいた。まさか、それが現役最後のピッチングになるなんて、思わなかった。
 試合が終わってみんなとハイタッチをして、ベンチに戻ってふとグローブを見ると、中にウイニングボールがあった。どのタイミングで誰からもらったのかをまったく覚えていなかったので、あれっ、どうして僕が持っているのかなと、ビックリした。あのボールが結局は最後のウイニングボールになった。実はそのときからずっと考えていた。なぜ、あのボールが僕のところにきたのかということを……。最初は、「18」日だったからかなと思っていた。大好きな18日に、僕が最後を締めた試合のウイニングボールだから、それだけでも僕にとっては充分に意味はあったのだ。
 野球の神様の声を聞いたとき、あの手元に戻ってきたボールのことをふと思い出した。僕のなかで合点がいった瞬間だった。
 もしあのままやめずに他球団でプレーしていたら、メジャーでやれていたと自分では思っている。でも、僕が今まで何を大事にしてきたかというと、目に見えない力。僕は、野球の神様がいると思っている。僕の心が納得したのは、野球の神様が、
「もういいよ」「充分、やったよ」
 と言ってくれたからだった。その声が聞けたから、僕はすっきりした。それよりも前、僕がもう引退しようと思ったときには、野球の神様の声は聞こえなかった。何度問いかけても、声が聞こえない。何も聞こえないということは、野球の神様が、まだまだ、まだまだと言い続けているような気がしていた。
 ・・・
 ・・・長くやればいいってもんじゃない。僕の気持ちが、精一杯やったと納得していたことが、僕にとっては大事だった。・・・そういう流れだったということなのだ。
 ・・・
 少しは悲しい気持ちになるのかなぁと思ったのだけれど、そうではなかった。むしろ、とても清々しい気持ちになった。
 世の中には、永遠なものはない。・・・だからこそ、一瞬、一瞬を、感性を研ぎ澄まして生きていきたい。