どう笑いに変えていくか

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

「カネ」を失うことで見えてくるもの。という章に乗っていたエピソードです。

P137
 有り金はたいてすっからかんになったある日、わたしはずいぶんと落ち込んでしまって、しょんぼりお弁当を食べていた。そうしたら銀玉親方がこう言うの。
「えっらい、たっかいお弁当、食べてますなあ」
 フルコースだって余裕で朝昼晩と食べられるくらいのお金をギャンブルで使って、結局、一日の終わりにしょぼい弁当をつついていたからね。ふつうに考えたら、しょんぼりして当然。でも、ギャンブルをやる以上は「そんなことじゃ、いかん」というわけ。
 何で師匠にそう言われたのか、わたしにもすぐわかったから、こう言った。
「きっ……今日のところは、これくらいで勘弁してやるっ」
 落ち込んでるときでも、このくらいは言えないと。
「よしっ。それでこそサイバラだ」
 師匠にもほめられた。
 ギャンブルっていうのはどうやって勝つかじゃない。負けたときにどう切り返すかだ。ひと月ぶんの稼ぎが一晩でなくなったとしても、そこで言うギャグのおもしろさを競うくらいじゃないと。
 ・・・
 こんなときの身を切るような捨て身のギャグは、わたしが漫画を描く上でも、ものすごく、勉強になった。
「笑い」っていうのも、失敗をどうひっくり返すか、だからね。
 痛い思いをして、ふつうならしょんぼりしてあたりまえのところを、どうひっくり返して、どう笑いに変えていくかだから。